秋の日のこころ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

 

花が咲いた

秋の日の

こころのなかに 花がさいた(「貧しい信徒」 八木重吉)

 

シスター渡辺の著書の中にはたびたび八木重吉氏の詩が出てくる。なんともはかない、それでいて惹きつけられるような美しい詩。

 

最近、訪問しているシスターPが、読んでみて、といって詩集「貧しい信徒」を貸してくださった。帰りがけから何度も何度も読み返し、ポストイットをつけ、自分でも書き写したいと思った。

 

早速彼のことを調べてみた。

 

八木 重吉(1898年-1929年10月26日)は、日本の詩人、英語科教師。クリスチャン詩人。

 

重吉の人生は非常に短く、29歳で結核で他界している。当時は治らない病気で、多くの方が命を失っているが、重吉も例外ではなかった。詩人としての活動期間も非常に短く、わずかに5年。本人が生きている間に刊行された詩集は、1冊のみ。

 

いろいろな人の意見を総合すると、初期の詩集には、あまり重吉らしい魅力はないという。重吉の詩が、人を惹きつけるものになっていくのは、彼が結核になってからなのだそうだ。それからの詩は、理屈やぜい肉が削り落とされ、とてもシンプルな、それでいてとても心に訴えかける詩が多くなっていくという。

 

うつくしいもの

 

わたしみずからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るということが 分りさえすれば、
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ

 

 

ねがい

 

人と人とのあいだを

美しくみよう

わたしと人とのあいだをうつくしくみよう

疲れてはならない

 

人間の不完全さをしっかり心に刻み、自分の罪深さも自覚した上で人と人との間を美しくみようと努力する。それでも、相手が全く気にしていない。開き直っている時に、「疲れてはならない」と自分に呟くのだろう。

 

余計なものを切り落とし、シンプルに。心穏やかに生きたいものだ。