パパ様ツイッター ~ 2018年10月 その1 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

10月1日

La santa inquietudine per il Vangelo è la sola inquietudine che dà pace.
福音のための神聖な気がかりは、平安を与える唯一の気がかりです。

 

Sotto la tua protezione cerchiamo rifugio, Santa Madre di Dio. Non disprezzare le suppliche di noi che siamo nella prova, ma liberaci da ogni pericolo, o Vergine gloriosa e benedetta.
神のみ母よ、私たちはご保護を仰ぎます。いつどこでも私達の祈りを聞き入れ、御助けをもってすべての危険から守って下さい。

 

10月2日

La presenza dell’Angelo Custode nella nostra vita non è solo per aiutarci nella strada, ma per farci vedere dove dobbiamo arrivare. 
人生における守護聖人の存在は単に旅の途中で私たちを助けるだけではなく、どこへ到達するべきか示してくれます。

 

10月3日

Chiediamo la grazia di metterci in ascolto gli uni degli altri per discernere insieme quello che il Signore sta chiedendo alla sua Chiesa.
主が教会に求めているものを共に見極めるために、お互いに耳を傾ける恵みを求めましょう。

 

10月4日

In un momento decisivo della sua giovinezza San Francesco di Assisi lesse il Vangelo. Anche oggi il Vangelo ti fa conoscere Gesù vivo, ti parla al cuore e ti cambia la vita.

青春時代の決定的な瞬間に、アッシジの聖フランシスコは福音を読みました。今日もまた福音は生きるイエスを知ることができ、心に呼びかけ、あなたの人生を変えます。

 

10月5日

Chiediamo allo Spirito Santo che ci spalanchi le porte del cuore, affinché Gesù possa entrare a portarci il suo messaggio di salvezza. 
イエスが救いのメッセージをもたらして下さるよう、心の扉を私たちに開くよう聖霊にお願いしましょう。

 

10月7日

Ognuno di noi è l’uomo ferito e il Samaritano è Gesù, che si è fatto vicino e si è preso cura di noi. 
私達一人ひとりは「傷を負った人」であり、「善いサマリア人」はイエスです。イエスはそばに来て、私達を介抱して下さいます。

 

10月9日

Prendere il tempo davanti al Signore, nella contemplazione, e fare di tutto per il Signore al servizio degli altri. Contemplazione e servizio: questa è la strada nostra della vita. 
主の御前で時間をかけて、観想し、他者への奉仕として主へ全てを捧げましょう。観想と奉仕: これが私達の生きる道です。

 

10月10日

La novità del Vangelo ci trasfigura dentro e fuori: lo spirito, l’anima, il corpo, la vita quotidiana.
福音の新しさは、精神、魂、身体、日常生活を、私達の内外を変容させます。

 

 

10月11日

Pregare non è come usare una bacchetta magica. La preghiera richiede impegno, costanza e determinazione.
祈ることは魔法の杖を使うこととは違います。祈りには努力と不変と決意が必要です。

 

10月12日

Cosa è peggio: il demonio riconoscibile che ti spinge a peccare così che tu ti vergogni o il demonio educato che abita in te e ti possiede con lo spirito della mondanità?
何が最悪でしょう。目に見える悪霊があなたに無理強いして罪を犯させ、自分のことを恥だと感じることか、または、礼儀正しい悪霊があなたの中に住まい、世俗的な精神をもってあなたを支配することか。

 

 

10月13日

Guardiamoci dal rischio di essere attori più che testimoni. Siamo chiamati a essere memoria viva del Signore.
証人ではなく役者であることのリスクから身を守るようにしましょう。私たちは主の生きたしるしとして呼ばれています。

 

 

10月14日

Il mondo ha bisogno di santi e tutti noi, senza eccezioni, siamo chiamati alla santità. Non abbiamo paura!
世界は聖人を必要としており、私たちすべても例外なく聖性を求められています。恐れてはいけません。

 

10月15日

奉献生活者は祈り、貧しさ、忍耐を携え、教会の宣教に不可欠です。現代世界の諸課題の中で福音を告げるために、彼らの全人的奉献はかつてないほど必要です。宣教の情熱が奪われるのを許さず、奉献生活者たちが宣教熱を奮い立たせ、貧しい人、隅に追いやられた人、声なき人と共にいるよう、祈りましょう。

Pope Francis on Twitter

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10月16日

Apri il tuo cuore e lascia che la grazia del Signore vi entri. La salvezza è un dono, non una forma esteriore di presentarsi.
心を開いて主の恵みが入るようにしましょう。救いは贈り物であり、人前に出すうわべだけの物ではありません。


papaFrancesco@Pontefix_it

 

10月3日午前、「若者、信仰そして召命の識別」をテーマとした「世界代表司教会議(シノドス)第15回通常総会」は、パパ様と参加司教たちの共同司式のミサによって幕を開けた。

 

シノドスは、教会が識別を行うための一つの霊操であるとパパ様は述べられ、それは信仰に深く根ざした内的な態度を要するものと話された。

 

識別には時間と余裕が必要であるゆえ、シノドス会議では5つの発表・発言ごとに沈黙の時間を設け、耳を傾けた事柄を心の奥に注意深く受け取れるように配慮されているようだ。この内的な注意が、判別し、解釈し、選択するプロセスを完成するための鍵となるとパパ様。

 

「私達は『耳を傾け、歩む教会』のしるしである」と語るパパ様は、シノドスを、普段、教会からそのオリジナリティーや意見を容易に受け入れてもらえない若者たちに、真摯に耳を傾けるチャンスと課題の時として示された。

 

さらに、パパ様は、先入観や既成の概念から心を自由にすることが、耳を傾けることへの最初の一歩となると話された。また、パパ様は、聖職者の権威主義を教会の多くの悪の根源として示し、自分が受け取った聖職者としての任務を、寛大な無償の奉仕のためではなく、行使すべき権力のように用いてはならないと注意を促された。

 

「シノドスが、私達の心を再び目覚めさせるように」とパパ様は願い、この会議が「すべての若者たちに、福音の喜びに満ちた、未来のビジョンを喚起させることができるように」と祈られた。