今日の恵み 〜 ミラノ外国宣教会コングレッスィーノ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
 

毎年9月第3日曜日はミラノ外国宣教会のコングレッスィーノと呼ばれる大きな催し物があり参加している。

 

神学校へ行き、正式に宣教会の会員なり司祭となる最終誓約の式と、司祭となり海外へ派遣される宣教師達を送り出す派遣式を兼ねた大きなミサがあり、宣教師達の家族、親戚、地元の人や宣教会の若者のグループが何百人と集まる。

 

  日本では『ミラノ宣教会』として知られている「ミラノ外国宣教会」。正式名称は「PIME」("Pontificio Istituto Missioni Estere”)の略。直訳すれば、教皇庁立外国宣教会だが、イタリアでは"ピメ”とよばれている。

 

今年は、終生請願し会員となったのは6名(内イタリア人2名、インド人3名、ミャンマー人1名)で、6名の司祭がアルジェリア、ミャンマー、ギニア、チャド、コートジボワール、ブラジルへ、4名のシスターも北アフリア、カメルーン(2名)、そして信者の若い夫妻とまだ1歳にも満たない女児もブラジルに派遣されることになった。

 

胸に大きな十字架を授与されるが、毎年涙が出てしまう。派遣される場所は、いつ何があってもわからない国が多い。(日本で殉教することは、今の時代ではないだろうが、その分日本での宣教は非常に難しいと推測する。)その中で、毎年小さな乳幼児を連れていく家族を見るたび、胸が熱くなる。そこまでして福音を伝えようとする熱い意志にひれ伏したくなる。

 

 その時に流れた曲。

 

ところで、毎年恒例のバザーやら炊き出しやらあちこちにテントが貼られ、在ミラノカトリック日本人会も毎年日本文化を紹介するワークショップを行っているが、今年は折り紙教室とヨーヨー釣りをした。

 

 
 在ミラノカトリック日本人会の会員の方が夏休みに、折り紙で百合を100本折って寄付してくださった。
 
 それをこの7,8歳の少年が全て売りさばいてくれたのだ。全く日本人会とは関わり合いのない、この場で初めてあった少年。「僕が売ってきてあげる!」と言い、毎回2,3本の花を持っては、大きな会場内を走り回り「売れたよ〜!」と言っては、小銭も持ってきて、寄付の箱にチャリンと落とす。その繰り返し。私達のテーブルは、大きな敷地内の奥の方であったし、私達だけであったら、この花は捌き切れなかったかもしれない。やはりこれは、子供だったから、寄付してくれた人も多かったはず。天使のようなMくんに何かプレゼントしようとしたら、「何もいらない。僕はピメのために働いたんだ!」というではないか!将来の宣教師を見たような気がした!そして、最後に「また、来年もいるでしょ?」と聞かれ、暗黙の了解で「来年も任せるよ!」と言って別れた。
 
 
 
会場は人人人。司祭をはじめ、神学生、シスターもインド人が多く、毎年若者たちによるインドのダンス”バングラ”が披露される。キレッキレのこのダンス、インドでは収穫祭から始まったものらしく、次第に結婚式や新年の祝賀といった行事に不可欠な物になっているそうだ。
 

日本から帰国中の会員の神父様にも何人もお会いした。再来年の2020年はピメ、日本宣教70周年を迎える。是非是非日本から巡礼団も来ていただき、日本人信者として何か催し物ができれば良いなあ、と密かに思っている。笑

 

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」 (マルコによる福音書16:15)

 

このみ言葉を基としてピメは活動していている。 私達信者も、福音を宣べ伝えることを自らの使命とし人生を捧げられれば素晴らしい。 「全世界」とは地理的な問題、物理的な問題を越え、人がいるところ、人が生きているところに福音を伝える。
 
オラトリオでも来ている子達は、宗教を超え、様々な移民が多いのだが、生活の格差、親の失業、心の病、留年、親の放任、などなど、そうでなくとも思春期で複雑な時期に、彼らは色々な問題を抱えている。その鬱憤を晴らすためにオラトリオに来て暴言を吐いたり、乱暴なことをする子も少なくない。
 
自分の子供と向き合うだけでも大変なのに、他人様の子供の教育問題、心の問題に口を出すのはおこがましいのだが、彼らの心の闇の部分にどう「光」を伝えられるのだろう?と思う。私自身、投げ出したい時もしょっちゅうだが、「希望」のしるしとはなんだろう、と思う。
 
オラトリオの仲間の中にも、ピメの活動に参加している若者も数人いる。希望の灯を絶やさないよう、共に歩んでいけたらいいなあと思う。