友人との朝バールのテーマは常に「子育ての悩み」とそれに無関心な「夫の愚痴」。
なんでこうなるかな~。毎回話題は堂々巡りだが、吐き出すだけ吐いて、辛いのは自分だけではない、と安心し、またエネルギーを与え合う。笑
暇人のように聞こえるかもしれぬが、そのはけ口もなく、全ては自分のせい...と心を病んでいく母親も過去に何人か見ているので、決してはためてはいけない。吐いて、笑って、時に涙しリセットが大切。(吐いて涙。聞いて涙。結局いつも涙流してるの私やーん!)最近は段々聞き役に回りつつあるけれど。
ところで、人間には、誰にも向上心がある。人生のある時期に、「よし!これから頑張ろう!」と思う転機のようなものが必ずやって来る。そして、その転機は往々にしてたっぷり遊んだりさぼったり、失敗した後にやって来る。
親は子供の成長を願うあまり、幼児期から子供を向上させようとしがち。けれど、本人に向上しようという自覚がない限り勉強をさせると、どこかでしわ寄せが来てしまうんだな。
親はどうしても遅れる事を心配し、やらせすぎる方に気づけない。 我が家の場合はどう引っくりかえってもやりすぎどころかやらなすぎから脱出できないのだけれど。
それにしても、日本の子どもたちは常に受験を意識せねば行けず可愛そうだなあと思う。また海外にいると、受験はなくても言語の両立について特に悩む。バイリンガルどころかセミリンガルで、どれも中途半端にならないか? ボキャブラリーの少なさに焦ったりもする。だからといって言語数カ国語同じレベルでできる子もいるわけで世の中不公平だよな、とも思う。もちろんそういう子の陰の努力は並大抵ではないだろうけど、備わったセンスの有無は必ずある。
いずれにしても親が出来ることは何? 家計に余裕があれば、家庭教師に任せっきりの人もいるが、親がガミガミ、べったりついている家庭の子よりも、お母さんがのんびり構えている家庭の子の方が出来るケースが多い。
何が違うんだあ?
親は、ついつい子供のすべてをコントロールしがちだが、それぞれの魂の成熟度は、親も子供も実はそれほど変わらないのではないだろうか。一人一人は、自分でしか解決できない課題を持ってこの人生を生きている。 だから、人間は、ブロイラーのように管理できるものではないのだ。
親のできることは、年長者としての知識を生かしながら、子供を対等の人格を持ったものとして尊重していくことなのだろう。
子供に「人の話を聞きなさい」と言えば「ママは人の話を聞いてくれない」と言う。そうかあ?
子供が未熟なように親も未熟。お互い未熟な者同士が試行錯誤の中にいる。葛藤の日々なのだ。
ただ、自分が今、何をすべきか自覚と向上心を持つことが大切。
子育て、いつになったら楽になるんだあ?!