先日、帰国のために荷造りをしていたと思ったら、今度はミラノに戻る荷造りに追われている。
毎回、ミラノへ戻る荷造りのたびに、 荷物は増え、また両親のこととか、将来のこととか、何か心に重いものが残り、わらべ歌の「とうりゃんせ」の♪行きはよいよい、帰りは怖い...の部分を思い出してしまう。苦笑
その荷造り。今回は、少なすぎるくらい衣服は控えてきたので、多少食材は買っても問題なかったが、長女の衣服が増える増える...そうでなくても私の3倍くらい持ってきていたのだから、あきれてものがいえない。靴も何足あるのだ!
そして、よくも悪くも長男の空手の全国大会で受賞したトロフィー2つ。私は負け惜しみではないが、4位だったのでメダルのみ。〈昨年は4位までトロフィーがあったような...。ちなみに昨年のトロフィーは実家においたまんま。) 今年は次男の組手用の面も購入したので、小さなスーツケースは面と防具だけでいっぱい。私はサイを購入し、日本の「棒」もほしいと思ったが、やめておいてよかった。
毎年、出発前は何かと心がざわつく。
この春、両親の様子をみに単身帰国したが、その後の父の様子がかなり変わっていて驚いた。頭はしっかりしているし、内臓のほうもまったく問題ないのだが、とにかく筋力が衰え歩けなくなっていた。
「老い」の現実。ミラノでも老人ホームを訪問し、お年寄りとの付き合いも何かとあるが、やはり親の「老い」を見るのは辛い。そして、頭がしっかりしている分、それを受け入れがたい父もつらいだろうし、それを支えている母も自分自身が倒れてはいけない、という義務感、責任感に終われ、疲れ切っている。
年をとってからの病気は耳にしても、精神面は親が直面するまで考えてことがなかったのが正直な話。とはいえ、「老いる」ことは本来自然なこと。
今回、学生時代の友人や仕事をしていた当時の友人たちが、子供たちに「ママはまじめで賢かったんだよ。」「ママは、頭がキレて仕事が出来る人だったんだよ。」といってくれていたが、「えー、このママがあ?」と皆大笑い。子供たちには私はどうも、派手でドジでぼけてるおばちゃんらしい。苦笑 既に老いの道を歩んでいるのは確かだが...
とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっと通してくだしゃんせ
ご用の無いもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります
行きはよいよい 帰りは怖い
怖いながらも とおりゃんせ、とおりゃんせ
人生も、何事も「行きはよいよい 帰りは怖い」だなあ、とつくづく思う。
「行きは怖いが帰りはよいよい」なんてことはないのだろうか?
人生は旅にたとえられる。いくつもの難関、関所がある。 しかし、
あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。 (詩編121:8)
また、主の言葉である
安心していきなさい(ルカ7:50)
この言葉を信じて...心残りはあるものの、明朝ミラノに戻ります。今回お会いできた方々いろいろとありがとう。時間的に会えなかった方々もまた次回にお会いしましょう。
感謝。