次男、無事中学終了 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

イタリアの現地校中3の次男は、先週卒業試験の筆記試験を終え、今日口頭試験を終了した。一応週末"scrutini"(スクルティー二)と呼ばれる成績判定会議にかけられ、すでに筆記試験の結果は出ているので、総計としての成績がつけられ、公的書類が作成される。一応義務教育はあと2年続くものの、この証書は国から発行されるため、なくすと警察に届けないといけない、と以前言われた。

 

口頭試験は、各自テーマを選び全教科をつなげて20分で発表しないといけない。次男が選んだテーマは「第2次世界大戦」。外国語は英語とドイツ語を選択していたが、やはり発表は外国語で行われる。

 

各教科、その分野についても、彼の場合「第二次世界大戦」を背景に説明しなければいけないので、かなりの資料となる。それを大抵の学校はパワーポイントでまとめ、プロジェクターを使って発表させるが、次男の学校は美術の分野にもそれを加え、色画用紙で観音開き式にして、各教科の要点をまとめさせていた。発表は何も見ずに20分でする。

 

子供によっては緊張して眠れなかったり、ひどいと倒れてしまう子もいるらしいが、次男はへっちゃら。空手の稽古も普段通り週4回続けて通っていた。長女や長男が当時、どれくらい勉強していたかは、記憶にないが、次男は何度も聞いて!と言っては、私の前で繰り返し、繰り返し練習をしていた。

 

発表は、6人までを限度とし教室内に入って傍聴ができる。長女の時は、「絶対に来ないで!」と言われ、長男は何も言わず、次男に関しては、みんなお母さん達くるよ、と言われたので、しゃーないなーと思って出かけたら、誰も来ていないではないか!すぐに「帰っていいよ!」と言われ帰宅したのだ。は〜。

 

担任のイタリア語と歴史の先生からはちょっと意地悪な質問をされたようだが、あとは問題なかった!といって帰宅。英語では、"Sadako Sasaki"について質問されたという。広島市平和記念公園にある『原爆の子の像』のモデルとなった、原爆の被爆者の一人である佐々木禎子さんのことである。意外にもイタリアでは”sadako"は有名で千羽鶴を知らなくても、禎子の祈り、といえば、皆、はいはいはい...とわかるのだ。

 

何れにしても、まあそこそこに成績で卒業できることだろう。10段階評価で6以上でないと卒業できないのだが、高校へ行っても、やはり幾つで卒業したかは、躓いた際、必ず学校側から聞かれること。

 

翌日から夫が出張に出かけ、また長女がミラノで用事があったため帰省。久々家族5人が集まって食事をした。

 

「え〜、Dの声が変わってきてる!ショック〜!!」と長女は残念がっていた。まだお風呂上がり、平気で裸でフラフラしているし、「僕はまだ子供だから」と言っているが、9月からは高校生。いつの間にか長女はもちろん、私より身長が高くなっている次男。子供の成長は早い!

 

とはいえ、イタリアの高校生活は長い。5年といっても5年で終わらないのは普通であり、やれ赤点だ!やれ追試だ!とハラハラドキドキさせられる。いつになったら落ち着くのだろう...