夏のオラトリオが始まり第2週目。
今年も週3回の配膳及び後片付けとラボラトリオ。しかもラボラトリオは2回。昨年は切り紙だったが、あまりにも、難しすぎる、と不評で再び折り紙教室に戻った。それでも日本の子供ならいざ知らず、彼らに教えるのは結構厳しい。しかも、その時にならないと誰が来るかわからないから、彼らの顔ぶれを見てから何を作るか決めるのだが、なぜか男の子ばかり。
そして、オラトリオを手伝っていて毎年、指摘する問題点はスタッフ間のコミュニケーション不足。なので、今年もwhatsAppでグループを作ったが、かなりこまめにやり取りをしているのだが、肝心な責任者が仕事の都合でほとんでこれず、実質上私が取り仕切っている。
今年の主流のメンバーはかなり要領もよくテキパキと仕事が進んでいるが、それでも見た目はうまくいっているように見えてもその裏側が大変なのだ。本来の責任者と毎晩whatsAppで連絡を取り合うが、その度にお怒りを頂戴する。彼女のルールに則っていないと。たしかに彼女は責任者であるが、実際来ていない。いかに要領よく、皆が気持ちよく仕事できるか?が問題なのだが、それでもわけわからない人がわけわからない人たちを連れてきて、おしゃべりは多く、しかも違うペースでやられると確かにう〜と忍耐が必要となる。
ところで、食事が終わった後に、テーブルを片付けてから椅子をテーブルの上に乗せ、床掃除を始めるのだが、以前は食事中、マナーが悪かった子を「罰」として、手伝わせることがあった。しかし、罰とすると、彼らの態度はいかにもイヤイヤでいい加減。しかし、今年手伝いにきた元教師のシスターで、地元の中学生(そのほとんどがアラブ系)を集めて無料で勉強を見ているシスターが、「仕事はご褒美」「仕事はありがたいもの」「たとえ報酬がなくても誰かのために与えることができるのは、素晴らしいこと」とこの一週間、私も洗脳されるくらい仕事中ずっと聞かされてきたが、子供達にもそれを伝えると、意外にも自分からお手伝いを申し出てくる子が多いこと!しかも、もっと手伝いたい!と目を輝かせているではないか!
シスターはこれを”lavoro libera" と呼んだ。本来は"lavoro a offerta libera” 自発的に無料で提供する作業、ということ。それは犠牲ではなく、喜び。これぞ、ボランティアの精神だと思った。
もちろん、そこには、周りとのハーモニー。思いやりも要求されるが、そこは大人が見てあげるべきだが、大人の間で、思いやり、というか”気づき”がない分、気がついてしまう人が疲れるのはどうかと...苦笑。
まだまだ細い問題は残っているものの、大切なのは「喜んで自分を差し出す」ということ。それが何倍もの生きる糧になる。疲れるけれど、子供達の笑顔に支えられる。これは大きな恵み。頑張ろう。