叙階式 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで31年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
今日、ミラノ•ドウモにてミラノ教区から23名、ミラノ外国宣教会から5名、その他修道会から1名の司祭が生まれた。
 
司祭が生まれる教会から人数制限はあるものの、聖歌隊がこのミサで歌えることになり、参加してきた。
 
ローマ教区には、マルコ·フリーズィーナという司祭が多くの聖歌を作曲し、ヴァチカンやローマ教区の聖歌隊の指導をしており、私も彼の曲は大好きだが、ミラノ教区にはブルジオという司祭がミラノ教区の音楽を担当されている。ミラノのアンブロジアーノ典礼のミサ曲や2013年前パパ様が世界大会でミラノにいらした時のテーマソングなども彼の作曲で、今回聖歌隊の練習の際、初めてお会いし指導を受けた。
 
  
https://www.youtube.com/watch?v=owxbFc-M2J0
 
叙階式は9時からだが、7時半に門が開くので、7時にパロッキア前集合。肝心なシスターたちが10分遅れてきたが、7時半にはドウモの前に到着。すでに列ができていた。我々聖歌隊は王宮側の司祭館前の入り口から入堂。
 
 ドウモ祭壇正面
 
 私たち聖歌隊は祭壇向かって左側。ヴォーチビアンキと呼ばれる少年合唱団の後ろ側。
 
すでに入堂しているグループはあったが、すでに席取り合戦。(一応信者なんですけどー)案内者が持っていた地図を見せて頂いたら、お御堂は前の方から、出身パロッキアの司祭たちの後ろに、叙階する司祭たちの保護者、その後の親類。そして一般という席順だった。すでに脇の方にはいってしまいお御堂の中の様子がわからなかったが、近くにあったスクリーンで見ると、本当にドウモにいるのか?TVをみているような感覚だった。
 
ミサ10分前にやっと練習がはいった。入祭、グローリア、拝領の歌のみ簡単に復習。えっそれだけ?苦笑

 

 

今年の叙階式のモットーはルカ15:24による”E cominciarono a far festa”(この子<放蕩息子>は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから)「やがて祝宴が始まった」であった。
 
今年叙階した司祭たちは年長が46歳(我がパロッキアの彼も44歳)あとは30歳前後だが、3人がエンジニア、2人建築家の資格を持ち、法律関係、銀行関係の社会人経験を持った人たちだったという。昔は12歳で神学校に入った、という時代もあったようだが、今は大学を出てから、イタリア人でさえ社会人になってから召命を受ける人たちも多いことに驚きを感じる。
 
次男は早めに親の遺産をもらい、家を出たが、お金を使い果たし惨めな思いをして戻って来た。父は喜んで彼のために祝宴を開いたのだが、その喜びを今度は人に拡げるよう大司教は話された。
 
放蕩息子の帰還に関しては、弟の帰りを歓迎しない兄がいるが、どうしても兄の側に立ってしまう。真面目にやってきたのに...と。しかし、死んだはずの弟が生き返ってきた戻ってきた。これは喜ぶべき事。
 
ミサの最後にデルピー二大司教は、冗談まじりに新司祭へのプレゼントは本やイコンにしてしまうと、将来引越しの際、邪魔になったりバザーに出てしまうこともあるだろう。であれば、上質の紙に、今日の第2の朗読にあったフィリピの手紙4:8を書いて送りなさい、彼らの叙階記念にもこのフレーズを送ってあげれば、意識として常にとどまっていることだろうとおっしゃった。
 
真実であること、喜ぶべきこと、神の前に正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判の良いこと、また、何らかの徳や賞賛に値することは、すべて心に留めなさい。私から学んだこと、受けたこと聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の源である神があなた方と共にいてくださいます。
 
 我らのドン•ナターレ
 
ミサ終了後、ドウモの脇から司祭館側へでるともう歩道は人、人、人。
 
 ナターレの垂れ幕を探すだけでも大困難。司祭館前で彼を待ち伏せ。
 
パロッキアのメンバーで胴上げ。横でお母様が、「ナタレーは重いから...」と心配されていた。苦笑
 
 パロッキアのシスターたちと。
 
新しい司祭達が、師・司祭・牧者であるキリストに協力し、キリストの体、神の民、聖霊の神殿である教会を、共に築いていき、そして、その教えと、自身の生き方の証しを通して、信者たちの支え、喜びとなりますように。神に感謝!