独り言 〜 リーダーに求められるモノ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先日、空手の稽古の始めの挨拶の際、久々師範からお説教があった。

 

帯が上がっていくということはどういうことか?たとえ、空手が上手くても、大会に出て優勝しても、人柄、つまり人格が低ければ昇級、昇段はさせない、というものだった。

 

日本で騒がれているアメフト問題に触れ、たとえ、自分の生徒や部下が起こしたことであっても、そしてそれが理不尽だと思うことであっても、すべての責任を負うのが先輩であり、上司であるのではないか?という問い。

 

また、その逆もあるだろう。上司の失敗をかぶる部下。

 

何れにしても、責任を他人に転嫁することほど自らの成長の芽を摘んでしまうことはないだろう。自分を正当化し、他者に責任を押し付けるのだから、そこには反省も謝罪も謙虚さもない。人として傲慢、不遜、身勝手、自己中心的。いくら能力が高くても使えない。それは上記の空手が上手くても人格は低ければ...ということに通じる。

 

「成功は運がよかったから。失敗は自分に力がなかったから。そう考えて経営をやってきた」

 

「人間はともすれば、うまくいけば自分の腕でやったと思いがちである。それがおごりに通じる。だから、事がうまくいった時は運が良かったと考え、うまくいかなかった時は運がないと考えず、腕がなかったと考えたい。そうすれば、自分の力を上げざるを得まい。」by松下幸之助

 

常に誰かのせいにして成長すると、社会に出ても、結局は同じ。「上司が悪い」「お客様が悪い」「業者が悪い」「市況が悪い」「政治が悪い」...堂々巡りだし成長がない。
 

ここ数日考えて見たが、人を先導するリーダーとは、成功した時はおごらず、失敗した時は謙虚に反省をする姿勢が求められる。だめなリーダーは逆のことをしがち。

  

リーダーはある方針を決めて、部下に指示して仕事を進める立場だから、起きてくるすべてのことに対して最終的に責任を取る覚悟がなければならない。

 

人間には生まれ持った「素質」というものがあり、経験や学習によって得る「資質」、そして「能力」がある。資質は生きることに伴う力で、モノの見方や、考え方、感じ方から発展し、人生観やら職業観、人格や人間性も含まれるだろう。そして、能力はある目的に対し備わった力。

 

しかし、「資質」や「能力」があっても責任を取る「覚悟」がなければどうなのだろう? いや、「覚悟」も「資質」の一つなのだろうか? 考え出したらきりがない。

 

年齢、キャリアを重ね、資質と能力は大いに問われる。そして他者を導く立場の人ほど、それを高めることが大切だと思う。

 

何れにしても、「よりよく生きる」ことは人間的成長にとって永遠のテーマだ。