6月9日に私たちのパロッキア(小教区教会)から司祭が生まれる。
地域で育った彼は現在43歳。私がサンシーロ地区に引っ越してきて、パロッキアに通い始めた頃は、彼は聖歌隊のオルガ二トだった。声が非常にテノール歌手のように綺麗なので、歌い手さんなのだろうと勝手に想像していたが、詳細は知らない。私が聖歌隊に入った時は、彼はちょうどミラノ教区の神学校に入った時で、実際には入れ違いだった。
とはいえ、地元の人だし、お母さんが一人暮らしなので休みの日にはいつも母親のところに来ていたし、昨年の夏のオラトリオは一緒に活動した。
今年は教区から26名の司祭が生まれるので、彼らの出身パロッキア、つまり26のパロッキアから聖歌隊の選抜メンバー13名ずつがドウモでの叙階式の聖歌隊として参加できる事になった。
日本へ発つ前に、聖歌隊の指導者から、「5月17日はヴェネゴー二(教区神学校がある場所での合同練習)に行くからね、そのつもりでいて!」と言ってきた。日本滞在中も17日だよ、と言って叙階式で歌う曲の音源と共にメッセージが入ったが、参加できるのは13名と聞いていたし、実際我々は20名以上。誰が出る、誰が出ない...ときっと揉めるだろうと懸念した。なので、私は実際この3週間の間、全く練習に出ないで、ヴェネゴー二行くのは問題では?と返事をしたらそのままやりとりが途絶えた。
ミラノへ戻り、ミサに出ると、聖歌隊の一人のおばちゃんが、ご自分の叙階式でのポストを私に譲る、といってきた。何で?と聞くと、気が乗らない、と言う。聖歌隊のメンバーのほとんどが譜面を読めず、耳で覚えて歌うしかないが、どうしても演歌調になってしまう人たちが数人いて、何度注意されても直らない。過去数回専門家の指導を受けた際、数人のおばちゃんたちが個人攻撃のように歌い方を指摘されることがあった。さすがにそれは目立つし...
すると、案の定、あるメンバーに、だって彼女(私のこと)は練習に出ていないじゃない?と言われてしまった。まあ、音源があるし、譜面をもらえばなんとかなるだろうとは思いつつ、そう?じゃ、ありがとう。とは言えず、指導者や数人のメンバーに、どうすればいい?と尋ねると、夜の練習やら叙階式当日も朝が早いし、条件的に難しいと判断した人が多い。実際、希望者が人数の枠を超えてないから大丈夫よ。みんな大人だし...と言われ、参加することにした。
教区での合同練習の前日に、我が聖歌隊も20日の「聖霊降臨祭」の練習が予定されていたが、夜からのゲリラ豪雨により急遽キャンセル。地域によっては雹が降り、車が出せない!という人もいたらしい。
ところで、神学校はミラノ郊外。電車で行こうものなら大変だ。パロッキアの主任司祭から10人乗りの車を借り、あともう車1台で行くこととなった。
ミラノ司教区は世界でも一番大きい司教区と言われており、神学校は3つ支部があるという。1564年カルロ•ボロメオ大司教の時代、ミラノの中心地であるコルソ•ヴェネチアが始めの神学校だったという。画像のヴェネゴー二が創設され、移動したのは1966年、52年前のこと。ミラノ教区からは多くの大司教、枢機卿を輩出しているが、教皇になったのは意外にもピウス11世のみ、一人だった。
のどかな街並みのなかでなだらかな坂を登っていくと、神学校の門があり、そこに入ると、再び坂を登りながら広大な敷地が広がる。丘の夜景は宝石のようで、第一感想は、ミラノ教区はどんだけお金持ってるの?だった。苦
駐車場もいくつもあり、指定された場所に移動。そこには、我らのドン•ナターレが私たちを待っていてくれた。あれ?いつから駐車場係になったの?と冗談を言って笑った。
なかに入ると、それはそれは荘厳、それでいて、ピンポンをしている神学生が目に入り、???と思っていると、ローマンカラーのシャツを着ているから司祭なのだろうが、ジェラートを食べながら、ようこそ!と言ってただただ広い回廊ですれ違う。ここはどこ? ヴァチカンも素晴らしいが、常に人がいっぱい。誰もいないここは、どこかおとぎ話に出てくるお城のようだ。
練習は21時からだった。練習は1時間くらいで終わらせます、と担当司祭。えっ1時間で終わるの?と思ったが、一応皆が、歌えるという前提だ。発声練習もなく、立つこともなく、座ったままいきなり合わせが始まった。
🎶主よ、憐れみたまえ。キリエ•エレイソン, アンブロジアーノ、つまりミラノ式では12回歌う。心が洗われる。
https://www.youtube.com/watch?v=IqD6XrNw02k
今年度の叙階式のテーマは、ルカ福音書15章24節、放蕩息子の帰還を祝い、「祝いは始まった」である。テーマソングもこの日のために作曲された。
古くからの諺に「よく歌う人は、倍祈る」というものがある。聖アウグスティヌスも「歌うのは愛している証拠」と言っている。このようなことを踏まえ、教会の勧めでも、典礼ではなるべく歌うことが望まれている。歌は祈り。
さすがに、歌の上手い人が集まり、お御堂では声が響くこともあるが、自分が歌が上手くなってしまったような錯覚に陥る。それにしても、曲の素晴らしさに感動し、鳥肌が立ち思わず涙が出そうになる。やばっ!当日は感動間違い無し。
叙階式の翌日は、我がパロッキアにてドン•ナターレの初ミサが行われ、代々在籍していた司祭やシスターたちやら彼の神学校の友人たちも参列することになっている。
我がパロッキアから司祭が誕生し、一緒にドウモでお祝いできるのは今後人生ではないかもしれないから、歌は自信ないけれど、出ることに決めたの、とある聖歌隊のおばちゃんが言っておられた。確かにそうだろう。
ドン•ナターレや彼らの同僚とともに神様の祝福がいただけるなんてこれほど幸せなことはない!今から楽しみだ。
ミラノ•ドウモの曲: Milano, Inno del Duomo "aprite le porte a Cristo"



