日本での実家生活は、父の状態を目のあたりにし心配しつつも、比較的心身共に穏やかな数週間ではあった。
なんで? そういえば、最近、怒ってないからかな。そう思った。朝子供を起こす瞬間から不快な事が始まり、子供達の帰宅後の昼食、午後の居間で、空手の稽古で、寝るまでの間、どんだけ家族に精神的に揺さぶられるのだろうか?と思う。
ママいなくても皆で協力しあって出来たし、という家族。けれど、私の帰宅と同時に「あれやっといて」「これやっといて」と以前のまんま。(あまり暴露すると個人のプライバシーの問題なのでそこは控えるが)はあ?3週間の私の不在って単なる”イレギュラー”という意識だけだったの?何も変わってないじゃない?
ところで、今日5月14日は22年前の長女の出産予定日だった。あれは月曜日。なぜ覚えていたかというと、午前中に産科の診察があり、夜は月9ドラマ「ロンバケ」なる「ロングバケーション」第5話があったからだ。あの当時も、心穏やかだったなあと思う。妊娠中心身ともにいろいろ問題があり、帰国して出産にのぞんだが、全く問題なかった。やはり帰国し親元にいたからか心穏やかになれたのだろう。
その「ロンバケ」を見て、おしるしがあったので、病院へ連絡。微妙に陣痛らしきものもあったので、すぐに来てくださいと言われ、父に送ってもらい夜の11時近くに入院。けれど、陣痛は消えてしまった!苦笑
日付が変わると本来、1日分の請求になってしまうのですが、まあそこはなんとかしましょう、といって許してもらった。笑 陣痛は確実に消えてしまった。イタリアでは出産予定日から一週間くらいは遅れても誰も慌てない。ただし、お腹の子が育ってしまうと出産は厳しくなるばかり。
翌日から、病院内の階段を上り下りし、人様の配膳担当をしながら、病院内をウロウロしていた。
そういえば、高校生の頃、盲腸で入院をしたことがある。同時に父も肺の病気で同じ病院に入院しており、当時もよく病院内をウロウロしていたものだ。その時、私の病室には子宮がんで入院しておられるご婦人がいらした。多分40代前後。今の私よりもずっと若かったはず。子宮がんは、出産よりも何倍も痛いと言ってらしたのが忘れられない。だから出産くらいでうろたえてはいけないと思っていた。
当時、具体的な言葉で考えたことはなかったが、次男を出産してからあるバースコーディネーターの「産み方は生き方」という言葉を知り納得をした。妊娠、出産はまさに人生観を磨くように誕生観や出産観を深められるものだった。母と子の「一心同体」観。
結局、長女が生まれたのは、私が病院に入ってから36時間後だった。苦笑
そして、退院後また「ロンバケ」第6話を見たのだった。
