海外では、日本人は礼儀正しい、とよく言われる。
確かに駅のホームの並び方は、素晴らしい。列に並ぶのもそうだ。幼稚園時代から「前へならえ!」が身についている。
イタリア人は数年前の万博で、人気パビリオンに入るため、並ぶことを学習したけれど、それでも駅構内の階段や地下鉄の出入り口を待つのは適当。苦笑 列にならなければいけないと、一列になる、という意味でFila Indiana(フィーラ・インディアーナ)と言われるが、ぐにゃぐにゃ。
エスカレーターは右なの?左なの?どっちかに寄ってよ!と思う。駅の出口に向かう階段とて同様。たとえ手すりが付き、暗黙の了解で本来は、上り下りが決められているのでは...?!と思っていても、上ろうとすると、どーっと両側から人が降りてくる!降りようとすると、がーっと両側から人が上ってくる!右なの?左なの?どっちなの?!
とはいえ、へんなところで律儀なイタリア人。バスや地下鉄に乗っていると、自分が降りる駅または停留所の一つ手前辺りから出入り口に移動する。込み合っていれば、必ずといっていいほど”Sciendi (e) la prossima?"「次降りますか?」と手前にいる人に声をかけ、降りない場合は前へ移動させてもらうし、その人も降りるのなら必ず「自分も降りますから」といわれる。だから、前に出なくても続いて降りればよいと...
その点、お行儀の良いはずの日本の電車では(バスよりもなぜか電車に多い)駅についてドアが開いた時、何もいわずに後ろからぐいぐい押されることが多い。なぜ「すいません」「降ります」と一言言えないのだろう?と思う。しかも、多くの人が耳にイヤフォンを入れているケースが多く、耳をふさいで世の中シャットアウトして、人を押すとはどういうことだ!と思う。一言言えば嫌な思いを他人に与えることがないのに、その一言が無い。非常に不快感。非常に不気味。「なんで一言いえないかな~。」 嫌味のようにつぶやく。
数年前の帰国中、週末の夕方の小田急線内で込み合っている中、小学高学年あたりの野球だかサッカーの試合帰りらしき団体に遭遇した。あまりにも込んでいるのに、煩い子供たち。帰宅途中の大人は見て見ない振り、聞こえない振り。
しかし、私の忍耐はブち切れた!「君たち、人の迷惑考えられないの?責任者の大人は一緒じゃないの?」 そこから私が降りるまでずっとシーンとした。コーチも保護者も近くにいたようだ。でも乳幼児じゃないのだから、悟ろうよ。
郷に入れば郷に従え。
これは私に心の余裕が無いから感じるものなのか?恥の文化は日本の美徳というけれど、どうも違和感を感じてしまう今日この頃。