父の誕生日 〜 父の原点 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
 

今日2月26日は、父の81回目の誕生日。

 
2010年2月23日に、心筋梗塞で倒れ、一時は危篤状態であったが、その後何度も血管にステントを入れてきている。先月も2度も入院し慌てたが、今は落ち着いている様子。
 
歩くのが辛くヨタヨタしているが、頭はしっかりしている。毎日新聞を数種類読み、また、何故かこの10年近く漢字パズルなる雑誌に凝り、常に広辞苑を読み、熟語集を自ら研鑽しており、飽きると今度はコンピューターで一人麻雀。ゲームとはいえ、麻雀は頭を使うのではないだろうか。医療費から、銀行や大切な資料も全て表になっているし、日記というか手帳にメモも欠かさない。その辺は私も父譲りなのかもしれない。
 
が、寡黙で外に出ず、友達はいない。ここは私と正反対。爆
 
それにしても、父が80代になり、また自分が50代になるなんて、想像もしたことがなかった。自然の成り行きなのだが...。
 
ところで、父の実家は以前、旅館をやっていた、という話を聞いたことがある。そして、閉館してからはお土産やさんと郵便局をやっていたのだが、今年に入って、FBにいる父方のいとこのタイムラインに自分のルーツとして、戦前の父たちの実家の画像を載せていた。
 
それから気になり、色々と調べてみたら、戦前昭和3年、岩手県大温泉名勝 絵葉書、たとう領収書なるものなどもヤフーオークションで発見。ああ、お風呂は最後に行った時(17年前)もそのままのかたちだった!と感動した。領収書に出てくる名前は、父の実家のお墓がある墓地にある大きな塔に書かれている名前だった。父の父親、つまり私の祖父だったのか?と父にメッセージを入れたら、父の叔父だということだった。そして県会議員だったのだという。
 
それから、今日は、花巻市の歴史や文化を検索できる花巻物語事典というサイトで今度は1934年から41年までの新聞の記事を発見し、温泉の硫泉地が現在のホテル経営者にどう渡ったか、また、父の叔父の個人経営が一時期有限会社の共同経営に変わり、またその後ホテルの乗っ取り陰謀計画判明などなど、を読み、早速父に送ってみた。
 
7人兄弟。現在残っているのは弟妹を含め3人。彼らはその歴史を知らないんじゃないか?と言っていた。また、なぜか函館中央図書館デジタル資料館というサイトでもホテルの画像を発見!
 
 「千と千尋の神隠し」に出てくる八百万の神様達が日頃の疲れを癒しやってくる風の温泉旅館ではなく、その右隣にある半分切れている郵便局がある家。笑
 
以前、自分の原点を求めて、私が生まれた育った東京下町を子供たちと一緒に回ったことがある。けれど、この画像は、今でこそ寂れた温泉街になってしまったが、時代を飛び越えた昭和初期のもので、当時は町の発展に期待と夢が盛り上がっている時期であり、そんな中成長した父や叔父や叔母たちの幼少期を想像するのは、何か懐かしいもの感じるような気がした。
 
次回の帰国時は、もっと父に当時の思い出を聞いておきたいと思う。
 
ところで、一番上の画像は2月26日の誕生花である福寿草。花言葉は「幸せを招く」「永久の幸福」「悲しき思い出」
 

「福寿草」は、名前の通り、幸福と長寿を意味し、新春を祝う花として名づけられたと言う。

 

そういえば、父の実家の近所に「福寿荘」という温泉宿があったことを思い出した。

 

縁起が言い分、長生きしてほしい。