パパ様ツイッター 2018年2月 ① | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

2月1日

Una fede che non ci mette in crisi è una fede in crisi; una fede che non ci fa crescere è una fede che deve crescere.
危機に直面しない信仰は信仰ではありません。私たちを成長させない信仰は成長すべき信仰です。

 

2月2日

Possa ogni uomo giungere a Cristo, Luce di verità, e il mondo progredire sulla via della giustizia e della pace.
すべての人が真実の光、キリストの元へたどり着き、世界が正義と平和の道を進みますように。

 

2月3日

La vita di fede consiste nel desiderio di stare con il Signore, e dunque in una ricerca continua del luogo dove Egli abita.
信仰の生活とは、主と共にいること望むことを意味します。そして主がどこにおられようとも継続して彼を探し続ける事に由来します。

 

2月4日

Gesù si lascia trovare da chi lo cerca, ma per cercarlo bisogna muoversi, uscire.
イエスを探し求める人々に見つけ出されるのを、イエスはゆるします。しかし探し求めるためには、動いて、外に出なければなりません 。

 

2月5日

Chi è consapevole delle proprie miserie e abbassa gli occhi con umiltà, sente posarsi su di sé lo sguardo misericordioso di Dio.

自分の惨めさを自覚し、謙虚に目線を下げている人は、その人に向けられた神のいつくしみ深いまなざしを感じられます。

 

 

2月6日

Siamo tutti chiamati a impegnarci per proteggere i minori nel mondo digitale.
私達は、デジタルの世界の未成年の子供たちを保護するために責任を負うように呼ばれてます。

 

 

2月7日

Man mano che cresciamo nella vita spirituale, comprendiamo che la grazia ci raggiunge insieme agli altri ed è da condividere con gli altri.
霊的な生活の中で成長するほど、他者と共に到達する恵みとそれを分かち合うことを理解します。

 

 

2月8日

Con spirito di misericordia, accogliamo le vittime della tratta e coloro che fuggono dalla guerra e dalla fame.
慈しみの精神をもって、人身売買の犠牲者や戦争と飢餓で苦しむ人々を受け入れましょう。

 

 

2月9日

Non possiamo rimanere in silenzio davanti alla sofferenza di milioni di persone la cui dignità è ferita.
尊厳が傷つけられてきた数百万人の人々の苦しみを前にして、私たちは沈黙してはいられません。

 

I cristiani sono chiamati a custodire insieme il ricordo di quanto Dio ha compiuto in loro.
キリスト者は、神が彼らにどれだけのことを成し遂げたか記憶にとどめておくよう求められています。

 

2月10日

Il Signore si fa presente nella nostra vita mostrandoci tutto il suo amore e ci incoraggia a contraccambiarlo con generosità.
主は、私達の生活の中に現存してその愛をお示しになり、私達が寛大にそれに応えていくよう励ましています。

 

2月11日

I malati vengano sempre amati nella loro fragilità e rispettati nella loro inviolabile dignità.
病者の方々は、その弱さにおいて常に愛され、その犯すことのできない尊厳において尊重されるべきです。

 

Servire la vita umana è servire Dio e ogni vita, da quella nel grembo della madre a quella anziana, sofferente e malata.
人間的な生活を遂行するということは、神と全ての命、母親の胎内から高齢の、そして苦悩や病んだ命を捧げることです。

 

 

2月12日

Sento forte il dolore per i tanti bambini strappati alle famiglie per essere usati come soldati. Questa è una tragedia!

家族から引き離され、軍人のように扱われている子供たちに痛みを強く感じます。これは悲劇です。

 

2月13日

Per trasmettere la fede abbiamo bisogno dello Spirito Santo, da soli non possiamo.
信仰を伝えるためには聖霊が必要です。一人ではできません。

 

 

2月15日

Nella vita sperimentiamo la tenerezza di Dio, che nella nostra quotidianità ci salva amorevolmente dal peccato, dalla paura e dall’angoscia.
罪、恐れや不安から、愛をもって救ってくださる神の優しさを、わたしたちは日常生活の中で経験します 。

 

PapaFrancesco@Pontifex.it

 

2月14日、ローマ典礼は「灰の水曜日」を迎え、復活祭前の祈りと償いの期間である「四旬節」に入った。(ミラノのあるアンブロジアーノ典礼は18日の日曜日「灰の日曜日」をもって四旬節に入る。)

 

パパ様は、この日の夕方、ローマ市内のアベンティーノの丘に赴かれ、聖アンセルモ教会から、聖サビーナ教会に向けて、司教・司祭・修道者・信者らと宗教行列を行われた。

 

毎年の伝統として教皇による「灰の式」がとり行われる聖サビーナ教会は、5世紀を起源とし、ローマにおいて初期キリスト教時代のバジリカ建築を今日に伝える貴重な例の一つとなっている。

 

パパ様は、四旬節に信者たちの心を温める言葉として、「立ち止まる」「見つめる」「帰る」を挙げられた。

 

目まぐるしさから脱し、虚しく走り回ることをやめ、「立ち止まる」ように。そして、目立ちたいという欲求、人を見下す視線、何もかも知り管理したいという態度、沈黙の豊かさを忘れた騒音の前で立ち止まり、見つめ、観想することの大切さを強調された。

 

また家庭や、子供達、若者、お年寄り、病者、犯した過ちから立ち直ろうとする人たちの顔を「見つめ」、その苦しみや、希望、必要を知るように、また十字架上のキリストの御顔、その広げた両腕を見つめ、観想することで、誰をも除外しない愛、希望への招きに応えるようにとパパ様は説かれた。

 

そして、御父の家に「帰る」ように、いつくしみにあふれた御父の腕の中に恐れることなく帰り、その癒しと和解の力に満ちた優しさを実感するようにと、皆を招かれた。

 

Buon cammino di Quaresima!! 良い四旬節を!!