「一水四見」とは、字の如く、同じ水でも、四通りの見方があることを示す。
よく例に挙げられるのが、人間、魚、天人、餓鬼(がき)にとっての水がどのような意味を持つか。
水は、人間にとって飲み水。
魚には、住みか。
天人には、透き通ったガラス。
餓鬼には、飲もうとした瞬間、火に変わる苦しみの水。
あるがままに見る・・・
ものごとを、あるがままに見る。
自分が見ている世界は、必ずしも他人様が見ている世界とは同じではない。同じものを見ていても、気づかない面もたくさんある。人は皆、生まれ育った環境、受けた教育、経験、人間関係、興味...などなどで世界観も価値観も異なる。
ところで、最近、絵本作家・のぶみ氏が発表した楽曲「あたしおかあさんだから」の詞が、ネット上で論争を呼んでいるらしい。
子育てする母親の気持ちをつづったものだが、「母親に我慢や自己犠牲を一方的に強いている」などと批判が上がっているのだという。
「あたしおかあさんだから」作詞のぶみ 歌だいすけお兄さん
一人暮らししてたの おかあさんになるまえ
ヒールはいて ネイルして
立派に働けるって 強がってた
今は爪きるわ 子供と遊ぶため
走れる服着るの パートいくから
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
眠いまま朝5時に起きるの
あたし おかあさんだから
大好きなおかずあげるの
あたし おかあさんだから
新幹線の名前覚えるの
あたし おかあさんだから
あたしよりあなたの事ばかり
これがうらみつらみに取られてしまうのだろうか?でも最後は”あたしおかあさんになれてよかった。だってあなたにあえたから”とまとめているのに。笑
これまた、ありのままの「母親像」の捉え方も人それぞれ。
見聞きした人が、押し付けられているように感じられる、だからあなたも頑張ってね、母親だったらそのようにして当然でしょ、という風にメッセージを受け取ってしまうのだろうか?
自分を捧げる事を「自己犠牲」ととるか「無私の愛」ととるか。何も炎上しなくても...と思うが、これまた人の捉え方。
よく、人生は「捉え方」次第と言う。
ものの捉え方一つで、物事の見え方、その後の行動の取り方が変わってしまう。
けれど、「変えられないのは過去と他人、変えられるのは未来と自分」だろう。
過去の事実は変えられないかもしれないが、その認識を変えることは出来る。また、なるべく苦労や困難は背負いたくないものだが、それらに出遭うほど人を成長させるものはないだろう。
この苦労や困難は、自分が目的を達成するためには乗り越えなければならないと認識すれば、困難は耐えられる。また、感じる大きさも違ってくるものだろう。
また、同じ苦しみでも、その苦しみをどう認識するかで、耐えやすくもなるし、耐えがたいものにもなる。この苦しみが自分の将来のために意味があるのだと思えれば、苦しみは耐えやすくなる。
苦しみから逃れようともがくか、苦しみを心の栄養としてたくましく生きるか。
人はそれぞれに生き方は異なるが、積み重なった心の力が後々人生に影響する。食事も、身体能力とて同様。
捉え方で人生は変わる! 生きる限り、より良く生きたいから、よく捉え、よく解釈した方が良いように思えるのは、楽観的すぎるかな?