ついにクリスマスイヴを迎えた。
在伊24年。今は知らないが、日本ではクリスマスは恋人と共に過ごす聖なる日?!みたいな雰囲気があって嫌いだった。
自慢じゃないが(爆)、若い頃はそこそこにもてる方ではあったが、それでいて自分が好き(と思いこんでいた?)と思う人には悉く振られた。クリスマス・イヴに誘われると、えーっ君と? 妥協はしたくなかった。どんだけプライド高かったんだ?! 爆
今で言う、非リア充の劣等感はサラサラなかったが、強気で「クリスマスは家族と過ごす」と言って断ったものだ。もちろん、実際には家族でパーティーを開くわけでもなく、いつも通りの日常を送っていた。とはいえ、ケンタでチキンを買って、サーティーワンのアイスクリームケーキは買ってたかな?苦笑
ところで、イタリアには
”Natale con i tuoi, Pasqua con chi vuoi” という言葉がある。
クリスマスは家族と、パスクワ(復活祭)は好きな人(恋人に限らず友人も含めて)と。
イタリアに来たら、クリスマスは家族色が強くて、それはそれで、寂しくて嫌だった。子供が出来てからも、クリスマス前後は夫の日本出張が多く、母子でミラノに居残り。または夫がいる場合は、旅行に行こうというが、私はミサを理由に行かない。でもその時は、日本人のミラノ居残りグループでする食事会にまざり、友達の家から深夜ミサに行ったものだ。
今回も夫は日本出張中。でも、もう寂しくない。静かなクリスマスの夜の情景が好き。静かなお御堂の中で、キリストの誕生を表したプレセピオを眺めているのが好き。まさに、”felice e sereno”心穏やかな喜び。
この30数年でやっとクリスマスに対する思いも変わった。
とはいえ、イタリアに留学に来て、私がイタリアに来た時のように、家族色のクリスマスの中、もしやひとりぼっちでは...という空手仲間の青年に良かったらうちにおいでと長男を通じて声をかけてもらった。すると、他の友達も二人やってきた。まあ、一人も三人も一緒だわ。
画像を撮るのを忘れてしまったが、これでもか!というくらいご飯を作り、気持ちいいくらい皆全部食べてくれた。そういえば、私も高校生の頃、よく友人を家に連れて行って母も混ざって一緒におしゃべりしたことを思い出した。
お昼ご飯だったが、ずっと食べ続け気づいたら夜の8時。トランプをしていたら、別の用事があるから出かける!と長男が言い始めた。ホストだろうが!結局そこでお開きになったが、放っておいたらずっといただろう。爆
一人のクリスマスも嫌いじゃないんですけど!とT君は言っていたが、でもやっぱりご飯食べながら、たわいもないことを話して笑って過ごすクリスマスもいいでしょう?
今日は日曜日だったということもあり、昼に夜にミサがあり、とても神聖な1日だった。
