12月4日、次男13歳の誕生日。
そして私にとっては3人目の出産記念日でもある。
3番目にして、次男が一番楽な出産だった。あれは土曜日。長女が補習校へ行っている間に病院へ行き、夜の7時15分に生まれてきた。初めてのイタリアでの出産。初めての立会い出産。(夫がいても、夫本人の方が倒れそうで全く役に立たなかった)
ところで、さすがに3人目となると、私も扱いに慣れたもので、どこへいくにも手作りスリングに入れて抱き歩いていた。そして、3人目の子供は、上の子たちの行事が忙しく、常に時間に追われ、当時、幼稚園児だった長男の幼稚園では、日本の文化紹介やらクリスマスバザーでは常に日本のブースを持っていたので、先生たちが、次男を順番に抱いていてくれたものだ。
また、3人目はとにかく勝手に育つと思ったが、せっかちな私が手を出しすぎて洋服を着せたり、靴を履かせてそのままひっぱりまわすような日々のまま成長。逆に依存度が高くなってしまった。あちゃ〜。
自分の30代、40代を考えてると、とにかく子育てに追われ、猛ダッシュで来たなあと思う。そして、現在「魔の思春期」にどっぷりはまっている。
イタリア人を見ていると、幼少期は、蝶よ花よと育てておきながら、中高生以上になると、べったり過保護か急に引き離す親の多いこと。隣の芝は青く見えがちだが、真面目で、うまくいっている(ように見える)家庭だけが幸せとは限らない。
以前は、子供にいろいろな夢や希望を持って欲しいと思いつつ、ある意味自分の夢や希望を重ねていたような気がする。けれど今は、勉強は出来ないよりできた方がいい。けれど、多少できなくても、生きて行く自信や生きて行く意味を自分で見つけ出すことが出切ればいいじゃないか?と思えるようになった。
また意外に親は、自分の子供の”ありのまま”を受け入れるのは難しかったりする。それが他人様の子供にできても、自分の子供には出来ない。やはり親の夢や希望を子供に合わせてみてしまうからなのではないだろうか。ありのままの子供を宝として大切にする、簡単なようでできないものなんだなあ。
いやいや、子供を育てるということは、親自身が自分を育てることであり、いつも子供と向かい合うことが大切だ。「育児」は「育自」だとしみじみ思う。
また、親は自分が持っていないものを子供に与えることはできないわけで、自分の不完全さ、思い上がりにも気づき、また他人の不完全さを許す心のゆとりが必要だ。
あなたが3人の母親になるとはね〜。母や叔母たちに驚かれる。私だって驚きだ!こんなに子育てが大変だと初めから知っていたら、3人なんて考えなかったわ!と恨みつらみを吐きがちだが、その辛さ、苦しさが自分を育てているんだな。1日一回は子供たちにイライラさせられる。けれど、ぐっとこらえて、私を「親」にしてくれてありがとうと思うのだ。本来、子供が与えてくれる喜びや感動は日常に溢れている。いろいろな経験をさせてもらい、人生を豊かにしてくれている彼らに、親が感謝しなければならないだろう。
ほんと、腹たつし、脱力させられる毎日だけど、お互い様かな?うちのママは、へんな格好をするし、髪は紫だし、恥ずかしいよ、と言われるが、日本にはそういないよ、こういうママは。爆 うちの子でよかったね。生まれてきてくれてありがとう。
諺に見る子育て論