だれにだって その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

偶然去年の今日も書いていた。

だれにだってあるんだよな、人には言えない苦しみが...

 

本来、昨日からルルド巡礼に出るはずだった。それが、いろいろな事情が重なりキャセンルした。

 

それとは、別に昨年あたりから、家の電気類やら家具に支障が出始め、いつからかカビが出ており、夏の帰国前に予防と対策をしたつもりが再び悪化。先月くらいからやっと大家も動き始め、何かと業者が家に調査として出入りし始め、工事も始まった。

 

考えてみれば、そんな状況のど真ん中で旅行に出てられなかったかもしれないし、なんと私自身が、いきなり体調を崩したから、どう考えてもやっぱり無理だったな...と自分に言い聞かせている。

 

そのようにいつからか、毎日起きる出来事、出会う人々には、理由や意味、目的があると感じている。

 

例えば、なんであんなことしちゃったのだろう。

なんで、あんなこと言っちゃったのだろう。と思うこともある。

 

そして、あの時、ああしていれば、こうしていれば、と思うことも多い。また、久々会ったと思ったら、今度は偶然にも何度も会う人、という人が意外にいる。あの人は、私を必要としているのだろうか?それとも私があの人を必要としているのだろうか?とも考える。

 

自分は何に気づいて、何を学ぶか?

 

ところで、今でこそミラノのM5が開通し、家の近所に駅が出来てから、利用しなくなったが、以前利用していた駅の入り口に、毎朝ロム(ジプシー)の若い女性が座っていて、いつも笑顔で、とても明るい声で一人一人に声をかけていた。私から彼女に声をかけることはなかったが、彼女に声をかけている人も多く、やはり元気をもらって出かけていくのだなと感じた。

 

高校時代の友人にも人に元気を与える友人がいたが、ぽろっと「私、悩みがないように思われがちけど、そんなことないんだよねえ。」と言っていたのを今でも思い出す。

 

人にはそれぞれ悲しみであれ、苦しみであれ、目に見えないものを持って生きている。そのことを忘れずに自分の生き方を正し、他人の生き方への理解を深められたらどんなによい社会に変わるだろうか。

 

人生には不可解なこと、腑に落ちないこと、言えば愚痴になること...が沢山ある。誰でもが、淋しさや孤独に耐えてこそ成長すると思うが、耐えられなくなってしまう人も少なくないはず。

 

人を心の目でみるというのは、つくづく難しいものだと思う今日この頃。