「世界宣教の日」と洗礼式 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日は、「世界宣教の日」だった。

 

カトリックでは、10月の最後から2番目の日曜日は「世界宣教の日」と制定されている。世界にはまだキリストを知らない人が沢山いるわけで、キリストを伝えることである宣教は、神の子ども、キリストの弟子となった私達皆に与えられている使命といわれている。

 

ところで、今日は友人夫妻の次男君の洗礼式があり、参列してきた。はじめは夫に代父(ゴッドファーザー)を、と頼まれたが、まず夫は信者ではないので無理だと思うといって断った。イタリア人は、子供の代父母を身内に頼む人も多いが、意外に信者であっても信仰云々関係なく頼む人も多く驚かされることがある。受洗者がたとえ赤ちゃんであっても、それからの日常生活において、主に信仰上の事柄に関する相談に乗ったり、困難な時に助け、励まし、また信仰の喜びを分かち合うことが大切。代父母はいわゆる洗礼の恵みが開花することを助ける「真に教会的な任務」に与る役目といっても過言ではないだろう。

 

ミサは、知っている教会ではあったが、中に入ったのは初めてだった。非常にモダンな教会で、ギターと女性3人による美しい聖歌。そして非常にわかりやすい素晴らしいお説教だった。

 

今日の「世界宣教の日」は、イタリア語では”giornata missionaria mondiale"という。"missionario"は宣教師という意味だが、この場合は形容詞的に使われており、”missione"(いわゆるミッション)は宣教という意味もあるが、特別な任務、使命という意味もある。

 

イエス•キリストは、十字架に架けられ、最後に「成し遂げられた」”(tutto) è compiuto"と言う。それは「終わった」というのではなく、「成し遂げた」つまり各々が与えられた使命を「最後までやり遂げた。」「見事にやってのけた」ということだろう。

 

「世界宣教の日」は、宣教について思いを馳せ、祈り、献金し、物的・精神的援助をすることによって、宣教地で苦労を重ねている宣教者のお手伝いができる...と定義があるが、『人間の生き方』として、使命をやり遂げることはそう簡単にできることではない。

 

ところで、今日の洗礼式では7人の赤ちゃんが洗礼を受けた。皆1歳未満の可愛らしい男女だったが、「ここにいるご両親、祖父母、そして代父母の方々も40年、50年、60年以上前にやはり、ご両親や多くの人に愛され,温かく見守られていたことを思い出してください。愛されて、初めて愛を知ります。大切にされ,初めて自分の価値に気づき自分を大切にできます。...人を愛するという使命を皆さん忘れないでください。そして、いつか自分が死を迎える時、”成し遂げられた”と言える人生にしましょう。」と司祭が話をされ、胸がグググと熱くなった。

 

 

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ミサの後は、場所を変えて、”リンフレスコ”と呼ばれるお祝いの軽食パーティが開かれた。友人夫妻は南イタリア出身だが、ケーキ以外は全て手作りでとにかく、親類の多いこと!笑 これでもか!これでもか!と食事が続き、家で作ったというワインを振る舞われた。サラミまで手作りで驚き! まあ、とにかく話す、話す....そして、家族で、夫妻の兄弟と、祖父母も含めて、そして親類も加わり、今度は友達のグループで...と永遠に集合写真を撮りまくる。さすが、南イタリア!絆が固い!!
 
 
 
 
あまりにも食べ過ぎて、夕食はパス!
 
リッキー、受洗おめでとう。
神さまとの つながりを大切にしながら・・共に歩んでいきましょう。
 

 

2017年「世界宣教の日」パパ様メッセージ

「キリスト教信仰の核心にある宣教」

https://www.cbcj.catholic.jp/2017/10/15/14629/