中秋の名月 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

今日は中秋の名月、十五夜(旧暦8月15日)である。

 

ゴスペルの師匠に「お月見会」しましょうよ、と声をかけたら、ダメ、満月は血が騒ぐから!と却下。危険なまでに?熱い雰囲気のガナリア隊。やっぱ無理よね〜。

 

ところで、十五夜とは本来は満月のことだが、年に12回または13回巡ってくる。中でも旧暦の8月は1年の中で最も空が澄みわたり月が明るく美しいとされていたため、平安時代から観月の宴が開催され、江戸時代から収穫祭として広く親しまれるようになったのだそう。

 

なぜ、お供え物をするかというと、月が信仰の対象でもあったからだという。

 

また、穀物の収穫に感謝し、米を粉にして丸めて作ったのが月見団子の始まりだという。月に見たてて丸い団子は、満月の時に、12個、15夜の際は15個で、下から9個、4個、2個と重ねるのだという。


そして、この時期とれた野菜や果物も盛るのもいいらしい。葡萄などのツルものは、月と人との繋がりが強くなるという縁起のいいお供えものなんだそうな。

 

ところで、お月見には、必ずお団子とススキが備えられているが、ススキは神様の依り代と考えられており、稲穂が実る前なので、稲穂に見立てたススキが選ばれたと言う。また、ススキの鋭い切り口が魔除けになるとされ、お月見のあと軒先に吊るしておく風習もみられる様子。
 

ふと考えてみたら、意外にも俳句には、中秋の名月を詠んだものが多い。特に、松尾芭蕉は、「奥の細道」の前に4つ紀行文を書いており、そのうち2つが『鹿島詣』と『更級紀行』で特に、名月を鑑賞する旅であったといわれている。

 

名月や 池をめぐりて 夜もすがら

🎶月がとっても青いから〜、遠回りしてかーえろ...って月に見とれて歩いていたら、夜が明けちゃったんでしょうかねえ?

 

名月や 北国日和 さだめなき 

きっと北国に旅に出ている間、名月を迎えたけれど、お天気に恵まれなかったのだろうか?

 

俤(おもかげ)や 姥(うば)ひとりなく 月の友 

上記、「更級紀行」の更級には、「姥捨伝説」があるそうで、更級は、姥捨て山と名月がセットで連歌される歌枕なのだそうだ。そして、この句を詠む、5年前に芭蕉は母親を亡くしているそうで、何か物寂しさを感じる。

 

月には満ちていく美しさと欠けていく儚さがある...。手が届きそうで届かない月。長女がまだ小さかった頃、よくエリック•カールの「パパ、お月さまとって!」を読んであげたことを思い出した。
 

 

余談だが、「月うさぎ」伝説の話はこちら

https://matome.naver.jp/odai/2140773258741743401