静座 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
忙しすぎて惰性の生活になりがちだ。なるべく1日に数分でも静かに過ごしお祈りをしようとするが、寝る前は最悪。そのまま記憶が薄くなり、夢の中へ突入してしまうからだ。笑
 
とはいえ、やはり静かな場所で、(日本人であれば)座禅、ということが好まられるだろうが、カトリック信者としては、お御堂へ行くだけでも、静かに過ごすことができる。
 
本来なら祈りを捧げるべきだが、静かに目をつぶり、自分自身を見るように努める。けれど、心が乱れるというか、とにかく雑念が多いのだ。常に堂々巡りの雑念だ。ただ、個人的には多忙すぎると雑念さえ消えてしまうから、「無の境地」になるが、それがよいのかどうかはわからない。苦笑
 
雑念...つまり潜在意識をシャットアウトするのは、難しいが、呼吸を整えることで、呼吸をしていることさえ忘れてしまう。なかなか思うようにできないが、毎日継続して静座の訓練をすることで、次第に「空の感覚」をつかめるようになるのではないだろうか。忙しいからこそ、頭の掃除が大切。

 

 
画像は、静座思六朝 ー 静座して六朝を思うという意味で、静かに静座して六朝の昔を思う。書の表現法らしいが、222年から589年までの時代を「六朝文化」というそうで、その当時の表現法を思いながら、静に座るってことなのか?ちなみに日本の聖徳太子が生まれたのが、574年だというので、どんだけ昔なのだろう!