昨日、知人の結婚40周年の記念ミサと分かち合いの食事に参加してきた。
人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
だから二人はもはや別々ではなく、一体である。マルコ10:7-8
また聖パウロの言葉にこういった有名な聖句がある。
愛は忍耐強く、情け深く、ねたまない。愛は礼を失せず、けっして滅びない。 コリントI 13章
お二人はまさに上記の言葉を示されていらっしゃる方々。同じ信仰があるからこそ、神様の愛を最も完全にあわらすことができる、まさに深く強い一致を感じられた。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
ヨハネ15:12
ということは、夫婦の愛は神様の私たち人間に対する愛の鏡ということになる。夫婦が互いに愛し合う姿を見ることによって、神様との関わり方もみえてくる。
私は洗礼を受けた際、結婚の儀まで受けたが、それに関しては、私一人のみ。夫は未信者。それってどうなんだ?
ところで、ミサで奉納の歌は、日本語で「愛といつくしみのあるところ」を歌った。
愛といつくしみのあるところ、神はそこにおられる。
キリストの愛に結ばれ、ともに喜び分かち合い、
真心こめて神を敬い、愛の奉仕に努めよう。
わけへだてを取り除き、ねたみと争いをさけ、
主キリストを囲んで、みな一つに集まろう。
主キリストの輝くみ顔、聖者とともに仰ぎ見る、
まことの喜び限りなく、世々とこしえに至るまで。
愛といつくしみのあるところ、神はそこにおられる
考えてみたら、地元パロッキアで大きなミサの際、ラテン語で歌っている”Ubi Caritas" がまさに上記の歌詞の言語であることがわかった。
Ubi cáritas et ámor, Déus íbi est.
Congregávit nos in únum Chrísti ámor.
Exsultémus, et in ípso jucundémur.
Timeámus et amémus Déum víum.
Et ex córde diligámus nos sincéro.
アガペの秘蹟。愛の秘蹟。
また、愛は、幸せにしたい人を自分本意で考えてはいけない。それはエゴだから。ではなく、相手本意に考える。自分を活かし、相手を活かす。
愛の伝え方、人を幸せにするやり方は、人それぞれだと思う。自分を活かし、自分らしい愛の行為を実践できるようになれたらすばらしいと思う。
愛の達人、目指しましょう。