レトロモダンな香港の旅 〜 その3 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

香港2日目はマカオ旅行。

 
我が家だけのフェリーと車だけ手配の旅行可と思いきや、日本の某旅行社のオプショナルツアーであった。なので周りは日本人ばかり。
 
台風の季節だったとは、つゆ知らず、傘など準備して無かったが、周りは皆折りたたみ傘持参。そしてあらゆる時でも、写真を取り続け、逆に我が家何か脳裏に心に焼き付けるだけでは甘いか?!とさえ感じてしまう。
 
まずはフェリーに乗ってマカオ島へ移動。何が楽しいって人間観察。
 
香港ーマカオ間は、ウォータージェットと呼ばれるフェリーで移動。マカオに行くには、パスポートが必要。中国に返還されたが、いまだに特別行政区だからか?! いずれにしても、出国審査を待つ中国人団体の凄まじさには目が点になった。とにかく横入りは、常識? 次から次へと新たに窓口が開くと、どっと走って移動。友だちや知り合いがいれば、パーッとまたそこへ移動。えっ何っ?何やってるの? 気づくといつも我が家は列の最後。イタリアで揉まれている我が家が一番最後?! ママー、郷に入れば郷に従え! うちもしようよ!と子供たち。ダメダメ! それは道徳に反してるでしょ! 
 
また、彼らのファッションが凄い! レインボーかタマムシか?! 七色に光る化繊のスカーフをマントのように首にかけているチリチリパーマのおばちゃんが多いこと。またセルフィで写真ばっかり撮っている若者。そんなに自分好き?!爆
 
実は、その間に雨が降り始め、シグナルエイトと呼ばれる、学校や会社、交通機関がすべて止まってしまう勧告令が発せられていた。
 
ところで、マカオは澳門(オウムン)と書き、東洋と西洋が行き交い、歴史ある町並みと現代が混ざり合う不思議な街。ポルトガルがマカオ進出を始めたのは、400年以上。その歴史は東口アジアのキリスト教布教の拠点と始まった。あのフランシスコ・ザビエルは、インド宣教後日本へ渡ったが、日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、中国へ渡った後に病を発症し亡くなっている。
 
99年にマカオは中国に返還されたが、それまでにマカオに勢力を持っていたのは、言うまでもなく中国政府とポルトガル政府だが、イエズス会もかなり力を持っていた、と地元のガイドが言っていた。ちなみにマカオの聖ヨセフ聖堂には、ザビエルの聖骨が納められている。
 
こちらは、聖ポール天主堂跡。
 
 
 
1835年に火災にあい、大部分を焼失し、ファサードのみが残った。壁面にはザビエルやイエズス会の創始者ロヨラのイグナチオや他の聖人、天使たちが見られる。
 
次にマカオタワーへ移動。
 
高さ338m.屋外展望台からバンジージャンプが人気とのこと。
 
 
 
 
 
マカオに行ったら牛乳プリンを是非食べて!と以前、香港に駐在していた友人に勧められたが、ツアーだったので、そんな時間はまったくなかった。ちっ。
 
また、ブルースリーのお店に行きたいと思っていたが、昨年閉店したという。これまた、ちっ。
 
ころで、マカオは「世界文化遺産」への登録や、中国大陸からの個人旅行が可能になったことから観光客が増加、年間3000万人を超える観光客がマカオを訪れている。また、来年は香港島とマカオを結ぶ橋が開通するそうだ。39.9キロ、車で30分。
 
ちなみに、マカオの財政原は約80%が38のカジノにおける賭博業、あとは金融業、観光業となっている。
 
あっという間に香港へ戻る時間になってしまった。シグナルエイトのお陰で、公共機関は6時間近く運休していたせいで、港は人であふれかえっており、予約しておいたフェリーにも乗れるかどうかスタンバイ状態だった。
 
運よく乗れて、香港に戻れたが、あまりにもフェリーが揺れ、あちこちで吐く人が続出。雨の中,あわただしい一日だった。
 
↓こちらは、マカオへ移動するフェリーの中でずっとかかっていた曲。