在ミラノカトリック日本人会は、本来7月は夏休みに入るのだが、ある信徒の方のご厚意によってご自宅を開放した家庭ミサを提案されお邪魔してきた。

彼女が嫁がれたお宅はミラノ郊外の兼業農家であり、収穫時期になると、本業を休んで家族でお手伝いをするのだそうで、広大なお宅の敷地内にはトラクターが何台も並んでおり、庭には桃やぶどうが実をつけており、セミがジージーと鳴いているが、ほのぼのとした空気に触れ、慌ただしい日常生活から離れ非常に癒やされた。
さすがに、学校が夏休みに入り1ヶ月以上が経ち、参加者が少なかったとは言え、ミラノ居残り信者とその友人達が集い30名は越えた。司式神父様(PIME ミラノ外国宣教会)も現在ローマにいらっしゃるが、喜んで!と言って定期的に私達のためにローマから電車でいらしてくださる。
この日の典礼は、マタイの「種を蒔く人」の話。http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycleA/a_ord15sun.php
(福音書の)当時の種蒔きは、種を手で土地一面に撒き散らし、それから耕して種に土をかぶせたらしい。そのため無駄になる種も多かったという。お説教は、日本語を解さないイタリア人も多かったため、イタリア語でも行われたが、イタリア語はさっと要所を話されただけで、朗読も長かったため一部省略はしたが、日本語で行われ、お説教も細かく日本語でお話しされた。
お米の種からはお米しか出てきません。種には、その種のDNAがあります、と神父様。神は言葉。それが肉となり人間を成長させ、人間が一つになっていけたら、どんなに素晴らしい世界となることでしょう?それが神になるという計画。人間、そして人間の人生は神様からのいただいたもの。私たちは神様から蒔かれた種。成長するために蒔かれた種です。神と同じになって神の家族となって永遠に一緒に生きる...それが神様のご計画。そして神様のご意思。神様が私たちに何を望んでおられるか?実行しないと結果は出ません。
ところで、今週は、マタイの話の続きで、毒麦やからし種、パン種の話が続く。そこで種を蒔く以前にその土壌のことを考えてみた。からからに乾いた土地では、たとえよい種でも芽が出るはずはない。土にはある程度の湿気が必要だ。湿気はイタリア語でumiditàと言う。形容詞がumido. ちなみに生ゴミもumidoと呼ばれる。謙遜をイタリア語ではumile, 英語ではhumilityというが、語源はラン語の"humilis". 腐葉土という意味。 ちょっとじとっと湿った感じがあるが、この世の植物は、自分の使命を果たし、最後は枯れて腐葉土となる。なんと謙虚であるか!
心の土壌をさらに豊かにするかどうかは、謙遜さ、謙虚さが大切だと思う。人の温もり。本質的な心の安らぎ。ドライな人、と言えば、格好良く?聞こえるのかもしれないが、やはり水分が必要。
ミサの後は、お楽しみのBBQが始まった。ミサの間に一生懸命お肉を焼いてくださっている方もいらして、美味しいお食事にありつけて感謝!食べるだけ食べると、広大な自然の中で遊び出す子供達。ボールで遊んだり、水風船で遊んだり、セミを探したり(私か!)...
毎年、在ミラノカトリック日本人会の野外ミサでは、子供達が遊ぶたび、びしょ濡れになるので、着替えを持って行っていた時期があったが、さすがに中学生になり、全く考えていなかったが、案の定次男は水でビッショビショ。それでも目が生き生きとして楽しんでいた。こうやって毎年子供達の成長を眺めることの幸福感。自然の恵み、素晴らしい!
恒例のスイカ割り。デザートの数々。お祈りを持って終了したが、素晴らしい集いであった。
神様に感謝! そして、素晴らしい仲間に感謝!



