「7」と「8」の話 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

昨日、空手の初級、中級のクラスに参加した。幼稚園生と小学生がほとんどで、数人大人がいただろうか?

 

最後の礼の際、師範が数人の小学生を前に呼び、それぞれ黒板に「7」と「8」を書かせた。何やってるの?と思っていたら、出席カードに出席した日にちを書いて提出するのだが、名無しの権兵衛が一人いたという。その子の7月8日という数字の書き方があまりにも雑だったので、あえて黒板に書かせた模様。

 

誰だったのか、想像はできるがその子は、黒板には非常に丁寧に書いた。(というか全員丁寧だった。)「やればできるじゃないか!」と師範。空手というのは、空手の稽古の時間帯だけにするのではなく、それ以外の時間、すべての時に、「その人」が出るものだ、とおっしゃる。

 

げげっ、私の出席カードもかなり雑なんですけど!名前も漢字でフルネームではなく、ローマ字で名前のみ。バスや地下鉄に乗る際、人を押しのけてまで乗ろうとしたり、降りたりはしていないものの、どこで師範に見られているかわからない。もとい、師範のみじゃないな、どこで知人に見られているかわからない。自転車に乗っていて、信号待ちでさあ、青になった!いつも微妙にフライング状態でスタートし、車より前に出ようとする怖いもの知らずのアラフィフ女。そういえば、昔、車を運転していた頃は、車に乗ると荒い気性になったものだ。今じゃ、人様の車に乗って数秒で寝てしまう得意のみ残ったが。なので、運転は決してしない。爆

 

ところで、「空手」が他の習い事と大きく違うところは、空手道場とは、空手だけを学ぶ場ではないということ。人間としての「基本」を身につける場所。

 

ピアノのお稽古は、曲に入る前に、指の練習として「ハノン」や「ツェルニー」をたくさん練習した。バドミントンもいきなり乱打の前に、素振りから始まり、フットワークをする。空手も同じ。毎回、たくさんの「基本」を守りながら、何度も何度も同じ動作を繰り返し、地道に努力することで心も体も我慢することを学び、「人間力」を増していく。

 

その鍛えた空手の心を普段の生活にも活かしていかなくてはならない。もちろん大人の場合は、大人になるまでの間に培ったその人のベースも含まれるわけだが、体の鍛錬は、肉体のみならず精神の統一も図ることができる。それが空手の醍醐味。

 

空手がなくても生きていける。

しかし、空手があれば人生を上質に変え、深みを味わうことができる。by 師範

 

ミラノ在住の方、秋から一緒に空手を始めてみませんか〜?!笑