L'Oratorio estivo 2017 オラトリオ ~ その6 最終週 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

夏のオラトリオが始まり、あっという間に1ヶ月が経ってしまった。

本当にあっという間だった。

 

全体的には、リーダー達もミーティングを重ね、仲違いもなくうまくやってきたようだ。また、大人の助っ人達とて同様。自分にできる範囲で、時間と善意を捧げてきた。

 

が、今年は何かと考えさせられるオラトリオだった。

 

時代背景のものなのか、それとも地域的なものかわからないが、オラトリオにはお金がなく、遠出の遠足や海さえも行かず。食事もお弁当持ちの子もいれば、一度家に帰宅してから食事をしてから戻ってくる子もかなり多かった。一食2.5ユーロ。週に3回。7.5ユーロ。兄弟がいれば、それなりの出費にもなる。昨年まで昼食を作っていた嘱託の人がいなくなり、信者が経営しているケータリング会社に依頼し、50セント値上げした。かなりのサービスをしてもらっていたはずだが、それでも厳しい家庭が多いということ。

 

そして、たまたまトイレで、お弁当を持ち込みながら、どさくさに紛れてお代わりをしている子がいるということを、耳にした。一応司祭に伝えると「いいんじゃないか?」と言う。あ〜、そういうことで不公平だと思う私が、慈しみの心が欠けているのだろう、と思った。が、他のスタッフに言うと、「それはまずいでしょう!」と皆口を揃えて言った。確かに、それが子供達の間に伝われば、不公平だ!ということになるのは目に見えている。けれど、子供がずるいのではない。たとえ、お金を払ったからと言え、お代わりをしてもそうそうお腹は一杯にならない。

 

隣接している学校から毎日、果物(そのほとんどがりんご)とパンの提供があったが、あまりの数で、食べきれず、冷凍していたが、それも週に一度ヌテッラを塗ったパンをおやつとして午後に提供しても、また冷凍庫が埋まるほどのパンが運ばれてくる。食べても食べても減らない。であれば、カリタスや施しをしている修道会に寄付しては?とも思ったが、それも何かと文句が出るかもしれない。

 

また、今年は折り紙ではなく、図工全般の教室を担当した。最初の2週間は塗り絵やペン立て作り。3−4週間が切り絵を試してみた。

 

 

長年、子供達に折り紙を教えていると、日本人の子供達は、ほとんどが手先が器用で、一度教えたことは、覚えるし、皆丁寧に作る。がイタリア人となると、そうもいかない。手先が器用な子は、飲み込みが早い。けれどたとえ、はじめ、ペースが遅い子でも覚えてしまうと、どんどん創造力を発揮していく。そこで、国民性が出てくるのだが、手先が器用なのは、フィリピン人。南米系でも折り紙や工作に興味を持ってくる子は、意外に器用な子が多く関心した。

 

ところで、オラトリオは国籍、宗教を問わず、お金がなくても子供たちを受け入れるのはいいことだと思うが、やはり、差別はしたくないが、教育、以前に家庭での”しつけ”の差があまりにも大きく、辟易することが多い。

 

4月5月と次男の通う中学のフェスタの準備要員として学校に通いつめ、生徒たちに触れたが、まあ先生の言うことを聞かない子が多いことか! 今時の日本の状況は知らないが、ありえないことなんじゃないだろうか?一緒にいた先生たちも、始終キーキーヒステリックになっていたが、あれじゃたまらないなあ、と横目で見ていた。「一人一人はいい子なんだけれど、二人以上になるとどうしようもなくなる」と言っていたが、授業の邪魔をし、授業についていけなくなれば、冷たくあしらわれ、放って置かれるのも想像できる。オラトリオとて同様。とにかく司祭や高校生、大学生のリーダーたちもよく怒鳴っていたが、”静粛”な瞬間さえありえない。

 

私は、所詮お手伝いの身であったから、余計なことは言わないできたが、ラボラトリオ最終日は、はっきり言って、何をしてもいいかわからない。行くところがない子が集められたからたまらない。一人南米の女の子がいたが、他は全員男子。差別は申し訳ないが、アフリカ系の男子数人の集中力のなさ、人の話をきかない態度にはいらいらさせられた。何が問題なのだろう?と思う。国民性か?それとも何かに対するいらいら?思春期?説明しても言ったことを聞かない、できない。挙句の果てにトイレに行って、もう(遊びに)行ってもいいか?という。私の忍耐も限界を感じていたので、「集中できないのなら行ってちょうだい」と言って、外に出した。

 

以前パパ様は一般謁見で、

 

「神が愛し赦したように、愛し赦しましょう。これこそ何の妨げも例外もない人生の原則です。」

 

そして

 

「尊重と一致、奉仕が、力強い家庭や堅固な民主主義の礎で、あらゆる信仰のたまものへの健全な応答になる」ともおっしゃられたことがある。昨年、いつくしみの大聖年において、赦しを得て、聖なる扉をくぐったにもかかわらず迷う自分がいる。

 

日々の生活が、より良い生活、より良い人生を送れるよう修行の場でもある。より良い、人生、より良いオラトリオ、より良い社会、そして世界...。課題は、相手に課すだけではなく、自分にも課せられる。

 

とりあえず、私の今年の夏のオラトリオ、ミッションコンプリート。任務終了。

 

リーダーの高校生たちは、ここ数年でぐっと成長した。本来なら長男にも同じ場所でなくても活動して欲しかったけれど、いつかどこかで役立つ時も来るだろう。ああ、楽しかった、ではなく、この経験が、私もまだまだであるが、少しでも外国人へ忍耐を持って相互理解を歩む道となりますように。

 

少なくとも、スタッフ間はコミュニケーションを密にし、お互いを思いやることで、今年はとてもうまく行ったように思われる。最終日はcaccia tesoro. 宝探しゲームをし、夜にパーティ。演劇やダンスの舞台あり、この1ヶ月チームごとに戦ってきた結果発表が行われる。本当に早かったな、一ヶ月。喜怒哀楽(”哀”はなかったかな)、神に感謝!