ミラノにおける日本?! | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

空手仲間の大学生で映像関係の勉強をしているJが大学の課題として「日本の文化」をテーマにビデオを作成した。是非是非広めて欲しいということで、ここにご紹介する。

 

彼女は母方の祖父が日本人であったのでクオーター。しかし、母親は両親同士は英語で、親子、兄弟間では、イタリア語での生活だったそうなので、日本語は解するが、話し、読み書きすることができない。そして、親類は既におらず、今や日本へ行っても、立ち寄れる場所がないという。なので子供たちも残念ながら日本語や日本文化は継承されていない。それでも、やはり自分たちのルーツを探りたいのか、家族で空手を学び日本文化に興味を持ち続けるのは素晴らしいことだと思う。

 

さて、ビデオは数人の日本人の目が開くところから始まる。私も「目」の目ヂカラと(!)後に出てくる「手」だけ出演!爆

 

そして、日本の梅雨、つまり初夏を思い出す映像が続く。彼らのお宅には、日本から取り寄せたというヒノキのお風呂があり、縁側ではないのだが、ちょっとしたスペースに置かれており、しかもそこに竹と紅葉が植えられており、非常に風流。

 

インタビューは、我ら琉球空手少林流空手道「月心会」イタリア本部の師範によるものだが、師範の「ミラノにおける日本」の見解は非常に興味深い。

 

「ミラノに日本はあるか?というと、あるといえばあるし、ないといえばない。」というのは、非常に曖昧だが、それでいて的を射た答えだと思う。

 

海外で日本...といって思いつくといえば、日本食、日本人学校、また文化といえば、武道や「道」のつくもの。

 

日本食は今や世界遺産に登録され、世界に誇れる文化であるが、ミラノの日本食レストランでは、食材に限界があり、本来の伝統的な食文化を伝えるには限界がある。

 

そして、日本人学校。児童生徒、先生は皆日本人。であれば、そこは日本か?といえば、異なる。児童生徒のほとんどは駐在員家庭で、必ずしも日本で育ち日本で教育を受けた子供、というわけではないので、日本国内での日本人ともまた異なるし、やはり少人数である分、授業内容も充実し、十分に目が行き届いているようだ。

 

また、「道」がつく文化。それらは一生をかけて、自分の生き方を学ぶものであるが、日本のそれぞれの道場には「気」を感じられる。しかし、海外でのそういったところでは、やはり本来の日本の場、雰囲気が異なるといっても仕方ないことであろう。

 

その他、自然の美しさや季節の移ろいなどに関しても、イタリアに四季があるとはいえ、日本のような情緒豊かな雰囲気ともまた異なる。また、お正月などの年中行事との密接な関わりもやはりない分、食を分け合い、時間を共有することでの家族やコミュニテイでの絆、というのにも限界が出てきてしまう。

 

我が家は日本人家庭であるが、子供達に日本人の精神、また日本特有の価値観や生活様式、社会的伝統が継がれているか?といえば、疑問だ。

 

それでも逆に、日本にいるよりも、日本人としての意識が高くなることもあるのが不思議。

 

ところで、海外にいると、度々「在外邦人」という言葉を使ってしまう。邦人の「邦」は「国」のことで、邦人は自国の人という意味になる。なので、日本から見て自国の人は日本人であるから「邦人」と呼び、対義語は「異邦人」。

 

けれど、日本にいる日本人を「邦人」と呼ぶことはなく、多くは外国にいる日本人を指す際、用いられる。

 

とはいえ、旅行などで短期間だけ外国に滞在する場合は「日本人」と呼ばれ、仕事などで在留している場合は「邦人」と呼ばれ、上記同様「海外在留邦人」「在外邦人」と呼ばれる。また、政治経済の硬い話題や、災害や事件、事故に巻き困るケースなどは在留している日本人を「邦人」と呼び、ノーベル賞受賞や何か賞賛されるようなケースは在留邦人であっても「日本人」と呼ばれたりするので、その違いはなんなんだ?!と頭をひねってしまうことも多々ある。

 

...と話は逸れたが、私の根っこは遠く離れた日本にある。あまりにもイタリア化してしまったため、日本へ行くと、浮いてしまいがちだが(!)日本人としての誇りもある。

 

子供たちが今、どう感じているかわからないが、根無し草とは思わず、日本人としての誇りをもって欲しいし、いつか自覚する日が来ると願う。そういう意味では、このビデオを作ったJ一家も限界の中で、ミラノにある日本を通じて、自分たちのルーツを探し求めているのだろうか?と感慨にひたりつつ、何度もビデオを見た。