イタリアの学校の夏休みの宿題として、イタリア語なり英語の本を読むよう言われるが、感想文を書くわけでもなし、意外にやっていない児童生徒も多いように思われる。
それを言うなら、日本語に補習校の読書感想文は、下手なドリルよりも難関で、最後の最後まで残され、結局親の宿題かい?!とさえ思わされるような難題であった。(現在我が家で補習校に残っているのは長男のみ)
ところで、最近慌ただしく、本も斜め読みで積読が増えるのみだが、夏の帰国中の楽しみは図書館通い。
ここ数年のベストセラーを読んだり、若い頃読んで感動した本を再び読み返したくなる。
さあ、この夏は何を読もうかな...色々な本のレビューを見ていたら、とても面白い本を発見。 https://i.bookmeter.com/books/9730972
>読書の習慣がない人は「本なんて読まなくても、生きていける」と思っています。
確かに、生きていくことだけが目標ならば、テレビやゲームなどで不安や心配事を忘れるという方法でもいいのかもしれません。
しかし、「幸せに生きる」「よりよい人生を生きる」「家族を幸せにする」ことが目標なら、読書の習慣は不可欠です。
どんな職業のどんなお父さんであれ、「読書の習慣があるお父さん」と「読書の習慣がないお父さん」では、「幸せにする」と誓った妻や、生まれたときに「幸せにしてやろう」と涙した子どもの人生に与える影響が変わらないということはあり得ないのです。
それでも、今日も、帰ってきたらテレビの前でビールを片手に「本なんて読まなくても大丈夫だ」となぜだかみんな安心しきっています。
その安心感はどこからくるかというと、「みんなそうしている」「みんなと同じだから」という理由からなのでしょう。
「書斎の鍵」喜多川泰 著(現代書林)
難しい哲学書やら古典、文学などを進んで読みたいとは思わないけれど、全て雑学。知らないよりも知っていることが多い方が人生面白いと思う。漫画や雑誌とて然り。物事知っていて無駄はないと思う。逆を言えば、本を読まない人は損をしているようにさえ思えてしまう。人生において、身につく知識の量に差が出てしまうのだから。
そして、読んでて感動するフレーズに出会うと、私はすぐにメモる。その出会いのフレーズが増えれば増えるほど、自分の言葉となり知識となるのだ。10年ブログを書いていて、はじめは引用していた作家や聖職者の言葉が今や、自分の考えになっていたりして驚いたりすることがある。特に聖書は面白い。そしてまた、数年後、数十年後に読み返した時、自分も成長しており、経験を通し、感じ方が異なっていることに気づくことも面白い。
この夏は積ん読の山を少し減らしつつ、新たな出会いに期待!
https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12264418109.html?frm=theme
