わたしはある | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

子供達の学校は終わり、夏休みに入ったが、まだまだ帰国までには時間がある。オラトリオや未だ中学の衣装関係のボランティアに駆り出されているが、合間を見て、シスターMとの聖書の会は欠かせられない。この秋で15年になるが、次男の産前産後、と一時期していたパートの仕事以外は何があっても続けてきた。行けば癒される。勇気がもらえる。シスターMを通じて語りかけられる聖書の言葉に活かされる。

 

現在82歳のシスターMは、60歳代まではバリバリに仕事をされていらしたので、出張も多く、当時ミラノにいらした日本人のシスターTが代わりにいらっしゃることも多かった。一方的に話されるシスターMとは別で、いきなり意見を聞いてくるシスターT。しかも「あなた今日はなんでここに来たの?」と唐突に聞いてくるのだ。

 

あれから十数年。一度日本へ帰国されたシスターTは最期の地としてミラノは戻られて早1年半。現在85歳?隣接する修道女のために養老院に住んでいるが、片目は見えないもののいたって健康。頭もかなりしっかりしていらっしゃる。ただ、周りが重症の人ばかりだから、話し相手がいなくて日本語で神様とばかり話しているの、とシスター。以前は週1でシスターを訪ねていたが、なかなかいけなくなってしまった。

 

先週の聖書の会から、シスターTも出席するようになり、養老院と修道院では食事の時間が異なるのだが、修道院で昼食を取ってもよいという許可が出たといって喜ばれていた。今週の聖書の会の終わりでは、シスターMとシスターTとの思い出話を聞くことができた。

 

50年以上前に宣教師として日本へ派遣されて何ができたのだろう?とよく自分に質問します。でも私が、そこにいた。あった。ということが事実だったんですよね、とシスターM。そしてシスターTを指差し、この人だって、ミラノに来て、養老院に入って何もすることがないんですよ。何してるんですか?それも、ここにいる。ある、ということが大切なんですよ。とおっしゃる。(毒舌すぎて笑ってしまった!)

 

そこで、神がモーセに言われた言葉を思い出した。

 

「わたしはある。わたしはあるという者だ。」(出エジプト記3:14)

 

ここでは、神の名前を言い、そして「存在」として常に私たち一人一人といつも一緒にいて、私たちに働きかけてくださっていること。そしてその時、その場において、私たちに光の道を示し、想像もできないような大きな力を与えてくださることを示してくださっているが、自分の「存在」として大切なのは、「生を生きること」なのではないかと思う。自分にしかできない、こめることしかできない愛と祈りをこめる。時間の量より時間の質。doingではなくbeing。

 

光のような存在になりたいもの。光がただそこにあるだけで素晴らしいような、そういった存在になりたいものだと思った。