ついに長い長い夏休みに突入した。
昨日、次男の学校に成績表を取りに行ってきた。一人で来ている人。子連れの人。保護者二人で来ている人。家族で来ている人、様々。ただ、成績表をもらって署名するだけなのに、まー待たされる待たされる。特に私の前に並んだ家族のご主人が、クラスの食事会で私の隣の席だったのだが、まー喋る喋る。その後、空手の稽古があったが、お陰で遅刻してしまった。ちなみに、1、2年生の進級発表がすでに学校の入り口に張り出されていた。amesso/non amessoと表示されるが、ほとんどが進級。(一応義務教育だし)それでも数人何か説明書きが付いている生徒もいるようだった。
そして、うちの長男。すでに2度も留年し、現在プライベートの学校で2年まとめて学習中。試験を受けてパスすれば、9月から始まる来年度は高4として復帰できる敗者復活戦ウイーク突入。親だって高いお金払って投資してるんだ、命かけて勉強せえ!高校くらいでないと、中卒だぞ!と脅す。自分の人生だ、自分に責任を持とう。英語の「責任」という言葉は「response-ability」と書く。「答える能力」だ。私たちはいろいろな責任を負っているが、その最大のものは、自分の人生をいかに過ごすかに対しての責任だ。
それにしても、子供のことで一喜一憂、情けない。神様、子供に何が起きようとも、どんと構えていられるくらい強い毛の生えた心臓にしてください。爆
とはいえ、堂々巡りになってしまうが、人生において体力も気力も充実していて、伸びしろがある若い時をどう生きるかが大切なんだよ、と言いたいが、私が言えば、「うざい」となる。でも、誰もに対して平等なのは「時間」だけ。いかに自分に時間の投資をするか。その使い方によって、その後は変わってくるのになあ。若い時=今を「夏」とするならば、「将来」は冬。蟻とキリギリスに学ぼう。
蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕べに寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。身を養ひて、何事かを待つ。期する処、ただ、老いと死とにあり。その来る事速かにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。(徒然草by兼好法師 第74段)
<口語訳>
蟻のように集まって東西に急ぎ南北に走る。身分の高い者あり賤しい者あり。老いたるあり若きあり。行く所あり帰る家あり。夜寝て朝起きる。人の営みは何なのだろう。やたらに長寿を願い、利益を求めてやまない。身を養って何事を待つというのか。頼む所は、ただ老と死とにある。それは速やかにやってくるのであり、時々刻々の間に留まらない。これを待つ間、何の楽しみがあろうか。世俗にまみれている者はこれを恐れない。名利におぼれて終着点たる死の近いことを顧みないからである。愚か者はまたこれを悲しむ。不死であることを思って、世の中の万物は変化するという物の道理を知らないからである。
バタバタ働いて、長生きと利益に執着したところで、待っているのは老いと死。この世が永久不変じゃなくて、万物は流転する。その中でいかに生きるかが問題なのである。
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