学年度末の怒涛の日々。日々ノルマのごとく、行事が消化されていく。
毎年、それこそ長女がかれこれ幼稚園時代からこういった生活だが、学校行事に関しては、過渡期を過ぎたはずなのに、年々忙しくなるのはなぜだろう。
今朝、中世行列という大イベントの終わった次男の中学へ衣装の片付けに出かけた。350着の衣装は、だいたいクラスごとに分かれていたが、洋服の状態を見て、しまえるもの、お直しの必要なもの、洗濯が必要なものなどを分けなければいけないが、その前に、ネックレスやらベルトやら剣やら何やらもその辺に置いてあり、どこから片付けて良いのやら...2時間一人で黙々と片付けをし、ま次男を含め、パリオのごとく旗をふる旗手の生徒たちはまた今度の土曜日に小学校のフェスタでデモストレーションをするので彼らの衣装だけ見つけて家庭科室の入り口に移動させた。お直し、洗濯...誰が見てもわかるようメモをつけ、机に並べていったが、忍耐力がフェードアウト。次は誰かお願いします、とwhatsAppのグループにメッセージを送る。
さすがに、月曜日のバドミントンはやめておいた。無理をして下手にアキレス腱でも切ろうものなら、8月の空手の全国大会に出られなくなる。一度帰宅し、アイロンがけの山に向かう。あ”...。脱力。夕方はオラトリオ。子供たちを見ながら、ミサの聖歌を選曲。夜は夜で次男のクラスのピッツァータ。特大ピッツァのお店だったので、もうしばらくピッツァは食べたくない。苦笑
そして、なぜか教授軍のテーブルに座ってしまい、話題作りに苦労した。ただ、宗教の先生が、今期で仕事を辞め、修道会に入ると言っており、興味深く根ほり葉ほり聞いてしまった!笑。ちなみにドミニコ会。キリストの真理を伝えようとするこのドミニコ会の理想は、プリズムによって光が多彩に分割されるように無数のドミニコ会士によって歴史のうちに生かされてきた。トマス・アクィナスは神学を、エックハルト、H・スーゾーらは神秘的観想を、フラ・アンジェリコは宗教的美を生き伝え、他方シエナの聖女カタリナはアビニョンの教皇を動かし、サボナローラの弁舌は宗教改革の先駆ともなった。日本には17世紀初頭のキリシタン時代に伝来、現在は日本の数カ所で布教しており、京都に聖トマス学院がある。いやいや、プロフの今後をお祈りしたいと思ってしまった。
そんなわけで、まだまだ続くよ、怒涛の学年度末...
何を捨てて(やめて)、何をするか(すべきか)...時間を有効に使うため、そして常に「やるべき」ことを明確にするため、私はTo do listがないといられない。しかも、こういう時は、デジタルではなく手書きで...。特に、人への連絡事項で期限のあるものもあれば、気になる人(言動や意味深なメッセージを送ってくる人)がいても、ついつい忘れてしまうこともある。人とのつながりは大切にしたいので、やはりメモなしではいられない。
また、同時進行が多すぎて、結局やりっぱなし、というものも多く、日々反省。そして、もう少し寝なくちゃなあと思う日々。やはり体は正直。翌日の体に出る。リンパマッサージ復活でかなり楽になったが、やはり抱えているものを徐々に減らしていかなければ...とも思う。
あれもこれもほしがるなよ by 相田みつを
自分の限界というものをわきまえなきゃね。大切なものをまもるため、真実にもどづいて今できないことは『ノー』というべき。でも、どうしようもない状況の時もある。でもちょっとできるかも・・・そんな思いで自業自得になる。泥舟に乗り続ける私。
何でも同じように大切にすることはできない。選び方は咲かせ方。一日をどう過ごしたか、生き方の中に結果が出てくる。そうそう。自分の行いには必ず結果が伴うもの。それを意識しながら行動し、すべて自分で責任をとる覚悟が大切。
けれど、まだまだ続くよ、怒涛の学年度末。(しつこい?!)
