翔舞の陣 ~ その3 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

...というわけで、型の決勝戦になったのだが、その前に我が家の愚息たちの結果というと、長男は一回戦目で大敗。相手は、昨年の秋に他流派から移籍してきた女子高校生。ありえないでしょ?というと、本人も何が悪かったかわからないという。けれど、長男に関しては、力強さはあっても致命的な癖があり、それを治さない限り、今後の道はかなり厳しい。次男に関しても癖があり、運良く3位決定戦まで持ち込んだが、負けてしまい4位。それでも普段、気合が弱い子だが、本番になると出る子。普段からきっちりしようよ!

 

私の番が来たが、自分の納得が出来る型が打てればいいと思ったので、それで十分だった。判定は副審の時点で0-4。仕方ない。ただ、後から主審だった師範に「微妙な判定だった。けれど安定した型だった」と言われたので、私の中ではそれで納得。とはいえ、後から送られてきた画像や映像を見て、やはり”ああ”と思うものがあった。いずれにしても改善点がいっぱい。

 

そして、本来ならヌンチャクの演舞があったが、予定の時間をすでに超えており、午後に回して、短めのお昼休憩に入った。食べ過ぎて気持ち悪くなってはいけぬ。持って行ったパニーノは半分に控えておいた。

 

さて、午後から組手の競技が始まった。型では、あまり気合の入らない子でも、組手になると、しかも本番でスイッチが入るお子ちゃまも多く驚いた。毎年、試合に負けて泣いていた子も、徐々に心身強くなっていく姿を見ていると、こちらも嬉しくなるもの。よく頑張ったね!と声をかけると、皆にやっと笑う。

 

そして、年齢、カテゴリーも上がるほど、見ていてハラハラドキドキするようになってくる。

 

ところで、武道とは、文字通り「武」の「道」である。「武」とは”止”と”戈”からできており、<戈を止める>ことが「武」の本義。なので「戈を止める道」が武道ということになる。つまり『防衛』のためだが、下手すれば殺法にもなり得るということ。武力と暴力は紙一重だが、けれどそこには大きな違いがあるということを忘れてはいけない。自分の技を磨いてくれる師範はもちろん、相手も、かけがえない”師”であること。”反面教師”ということもあり得るが、必ず学ぶべきものがあると思えば、「礼儀」は忘れてはいけないもの。

 

またここ数ヶ月、イタリア人門下生に日本語を教えているが、毎週「空手道訓」を繰り返し、4つの意味を確認する。徐々に生徒が減ってきているが、今残っているメンバーは本当に空手を通じ、日本人の精神(本来そうあるべきもの)を真面目に学ぼうとしている。ある時、師範が、「組手でちょっと痛い目にあって、腹がたったりするような態度を高校生などから感じるが、組手は人を倒すものじゃないんだから....」と一瞬言っただけでも、彼らは、あっ空手道訓3条。「空手は人を倒すものではなく、...己に打ち克つものである」と思ったという。さすが!!己に打ち克つ...瞬間的にも沸いた怒りの感情を鎮め、その感情をもった己に打ち克つ。それは普段の生活でも結構難しいものだ。それは空手道訓2条の「空手は己を見つめ、己を正し、己を磨くものである」にも通づるものがある。

 

その後に、ヌンチャク、棒術などの演舞が続き、無事表彰式を迎えた。第一回目のオープン大会としては、悪くなかったと思う。

 

さあ、これからはリセットし、夏の全国大会に向けて頑張らないといけない。「昨日の我に今日は勝つべし」またまた精進いたします。

 

 

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