昨日、第1回翔舞の陣オープン空手道選手権大会が行われた。
夏の日本で行われる全国大会に気をとられ、この大会のことは、ギリギリまであまり意識をしていなかったのだが、万が一決勝戦まで行った場合に出せる技として、どの型を出すか?いや出せるか?が問題だった。緑帯、紫帯の多くの人が”セイサン”を出していたが、自分の中ではイマイチで、癖が強いのは自覚していたが、稽古の度に師範に微妙に首を振られると「あっだめ?」「あっもう間に合わない?」と焦ったものだった。
大会の稽古の際、私があまりにもセイサンをしないので、「なんでしないの?」と聞いてくる人も数人いたが、自分の中では勝つためのセイサンにはしたくなかったので、今回の大会にはしないと心に決め、それ以前の型を完成させたいと思った。
オープン大会ということで、2つの他流のグループも参加したが、やはりスポーツではなく、「武道」としての空手、として参加するものも、そして観る側も、常に「相手」がいるという尊重の念をもって臨んで欲しい旨、はじめに師範より挨拶があった。ガッツポーズや歓喜の歓声、ましてや野次などもってのほか。
ところで、大会の当日、9時半に会場集合だったが、友人が近くでピックアップしてくれるというので、逆算すると8時半に家を出れば余裕かと思っていた。お弁当を準備し、子供たちにも準備をさせていたら、次男がいきなり「ヌンチャクがない!」と言いだした。はじめは冗談かと思っていた。前日、最後の稽古でヌンチャクを持っていたのだから。道場か更衣室に忘れたとしか考えられない!であれば、どうするか?師範がそろそろ会場に着くはずだが、余分にヌンチャクを持って行っているだろうか?または、誰かに借りるとして、確実にヌンチャクを持っている人はだれだろう?しかもまだ家を出ていなそうな人...でも電話番号がないぞ!!私もだんだん焦ってきた。師範ご夫妻に電話をしても出ない!(後からわかったのは、奥様は携帯電話を充電したままご自宅にそのまま忘れてしまい、師範ご自身は荷物と一緒に会場に向かう車のトランクに携帯電話を入れてしまい、電話が鳴っているのはわかっていたが、取るに取れなかったという...)
それと、同時に前夜帰宅の遅かった長男がなかなか起きてこず、誰とどうやっていくの?自転車で行くにしても早めに出ないとダメでしょ?と起こすのだが、うーん...と寝ぼけており、やっと仲間に携帯電話でメッセージを入れたらば自分だけ取り残されたことが判明し、もう無理!バスに乗り継いでじゃ間に合わない。自転車でも遠すぎる!と駄々をこね始めた!結局かれは一人タクシーで出かけたのだ。この不届き者めがっ!
朝から喜怒哀楽など出してはならぬ武道ではなく、武道は”ぶどう”でも、もう「怒りの葡萄」だあ!と私もブチ切れ状態。果てしない苦難とそれに全身全霊をもって立ち向かう母親...お前らしっかりせえ!
結局、既に家を出、仲間を迎えに行っていた門下生Mが家にヌンチャクを取りに行ってくれる事になった。感謝感激雨あられ。その後にも、別の門下生から「ヌンチャク無くしたんだって?俺はいつも車に積んでるから貸してあげるよ。」と電話が来た。持つべきものは友である。
会場に到着。会場設営の準備にとりかかった。毎回大会では、ご父兄の方々に、選手の呼び出しからトーナメント管理などのお手伝いをお願いしているが、さすがに今回は80名以上の参加者がおり、日本人のご父兄のみでは数が足りず、大会に参加する選手も助っ人として呼ばれた。自分の番が来るまで緊張して観ているよりは、気が紛れる...。
同じカテゴリーには、イタリア本部最高齢のF爺さんも参加。いつも寒いし、大気は汚染されているから帽子をかぶるべきだといって、帽子をかぶって稽古に来る。そりゃないだろう?と思うのだが、さすがに大会では、ギリギリになって帽子を取った。またヌンチャクを取りに行ってくれたMは、まわりに「決勝はT子とやりたいから、皆俺に勝たせてくれ!」と頼んでいる。なんだよ、そりゃあ...どこへいっても笑いが止まらないメンバーだ。
第一戦、そして第二戦、緊張は多少していたが、割に自分の思い通りの型が打てた気がする。始めからシードされていたので、気づいたら決勝戦に残っていた。相手は常に勝てないHさん。私としては、その時点で十分だった。4度目の大会にしてやっと入賞できたことで、彼女の勝ちたいという気もさらさらなく、しかも、彼女は最後にセイサンを出して来たが、私の型の倍以上の時間がかかる分、どう考えても私は不利であり、練習してきた型を打てればそれで十分だと思い、その時点でもう胸がいっぱいだった。続く...
