われは草なり
伸びんとす
伸びられるとき
伸びんとす
伸びられぬ日は
伸びぬなり
伸びられる日は
伸びるなり
われは草なり
緑なり
全身すべて
緑なり
毎年かわらず
緑なり
緑の己れに
あきぬなり
われは草なり
緑なり
緑の深きを
願うなり
ああ 生きる日の
美しき
ああ 生きる日の
楽しさよ
われは草なり
生きんとす
草のいのちを
生きんとす (「高見順詩集」)
これは、私が子育てに行き詰まった時に読む詩である。
先日、友人のお子さんが自殺未遂を図られた。命に別条はなかったし、何かと生きづらい世の中、そして難しいお年頃。でも何かにつけて、母親のせいにされたらたまったものじゃない。私も子供たちに毎回嫌味を言う。「いいよね。いつもママのせいにしてたらいいんだから。楽でいいよね?」母親たちはどこへこの感情を持っていけばいいのだろうか?夫のせいにしちゃう?苦笑
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり
確かにそうなのかもしれない。誰でも伸び悩む時はあり、スランプにも陥る。けれど、伸びる時は、ぐんと伸びる。その「伸びる」力を、親は、大人は信じてあげなきゃいけないんだろうなあ。
全身すべて 緑なり
毎年かわらず 緑なり
緑の己れに あきぬなり
いつもいつも緑である自分に飽きない。それが大事。
緑の深きを 願うなり
緑が深くなるということは、成長するということ。成長を願うのは、親のつとめ。親の願い。
ああ 生きる日の 美しき
ああ 生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす
草のいのちを 生きんとす
生きづらいこの世の中、それでも生きることは美しい。思い通りになら無い世の中だからこそ、頑張って生きよう、その生きる喜び、楽しさを求めることは、やはりいただいた命に感謝し、精一杯生きることが大切だと言っているように思われる。
自分に優しくなろう。そして、相手に対しても優しくなろう、という気になる。
毎朝、起きてから家族の誰かしらと喧嘩。こっちだって小言は言いたくないし、気持ち良く朝を過ごしたいのだ。バタン!とドアを閉められるたび、重いため息。
われは草なり...
生きる勇気を得るためにそっと呟く。
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11047381210.html
