紀元前399年のこの日、ギリシアの哲学者・ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなったそうだ。
アテナイ(現在のアテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとしたが、アテナイ市民には受け入れられず、告発され死刑判決が下された。弟子たちは脱獄を勧めたが、「悪法も法」だと言って毒杯を煽ったのだという。
ところで、「無知の知」とは、『無知であることを、知っている(自覚している) 』ということ。とはいえ、哲学関係の本を見ると、あまりにも説明が回りくどくて難しすぎる。ソクラテスの探究として用いられた問答法は非常に興味深いのだけれど、要は、「徳」を持っていると勘違い(?)している人を諭すために用いられたようにも思われる。
では、ソクラテス的「賢者」とは?
自分が無学、まだまだ、と自覚していれば、さらなる知識や物事をしることができるだろう。つまり向上心につながる。また、生きることも同じ。この変化の激しい時代の中で、「今の自分」に満足しきって仕舞えば、そこでおしまい。いつ淘汰されるかわらかないというもの。
そして、自分が絶対だと誤解すると、争いごとや新興宗教に走ってしまうのではないだろうか。
私は、欲張りだからなんでも知りたい。「知る」ということは、「違いがわかること」。「違いがわかる」ということは、「興味を持った」ということ。「興味を持つ」ということは、「楽しい」こと。だから、知ることは楽しい!!毎日が楽しい❤️
画像は、ソクラテスの最期を描いた『ソクラテスの死』(ジャック=ルイ・ダヴィッド画、1787年)
今の時代を生き抜くには、自分を磨き続ける努力が必要不可欠。今日の「哲学の日」にちなんで、「無知の知」という考え方を考えてみてはいかがでしょうか。
余談だが、今日は、この日に刑死したソクラテスの妻·クサンティッペが悪妻として有名でだったことから「悪妻の日」でもあるらしい。うふふ、私?!(もう良妻賢母になることは放棄した!)
