海外での子育ての辛さや孤独感、そして喜びを分かち合ってきたママ友たちとは、ある意味”共同体”意識があるから、その後、距離や関係的にも離れても、やはりどこかに懐かしさが残るもの。(私の場合、一方的かもしれないが)
特に、子供達が通ったミラノのモンテッソーリ(幼稚園、小学校)には9年間通ったことになるが、その間、どれくらいの日本人家庭の人々と出会いと別れがあり、見送って来たことだろう。
ママ友母子たちの中では、帰国しても思い出探しに、再びミラノに旅行でやってくる方々が多い。そして、当時の友人として連絡をくれ、以前共につるんだ地域をはじめ、モンテッソーリに足を運ぶ。
今回も、お子さんの春休みを利用し、旅行にいらした母子と再会。帰国してちょうど10年なんだそうだ。一度だけ当時のグループで東京で再会したが、それでも7,8年ぶりだっただろうか。小さな頃のお嬢さんの面影しかなかったが、既に中学生になり、身長はお母さんを超えていた。(我が家の子達にも知らないうちに体重だけは超えられていたからなあ。笑)
朝9時に幼稚園の前で待ち合わせ。本来ローマから北上し、ヴェネチアから移動してきた前日に会う約束をしていたが、私が別の用事が入っていたのと、彼女達がギリギリまで「最後の晩餐」見学の時間帯が決まらなかったので、今朝に変更。お昼過ぎにはホテルを発ち、帰国という、ギリギリ最後のご対面。以前のイタリア人のママ友が現在モンテッソーリのセクレタリーなので、彼女にいえば内部見学も問題ないだろうと思っていたが、気づいたら当日。行き当たりばったり行くか?!当のお嬢さんは、外から見るだけでいいです。いきなり行ったら悪いし、恥ずかしい...と遠慮気味。駄目元でいってみましょう!といって入っていくと、オーナーが出てきて、事情を説明すると快く内部見学 を受け入れてくれた。
現在、校舎増設のため工事が行われているが、昔のままの間取り。当時の担任は既にいないが、他のクラスだった先生が一人だけ残っていた。さすがにプライバシー保護のため、内部の写真は撮れなかったが、私は久々のモンテッソーリ。懐かしかった。
その後、以前通い詰めたバールに行きたいと友人は言ったが、そこは昨年ついに潰れ、三分割され、ジェラテリアやビッレリア(ビール屋)などになったが、結局そこも潰れてしまった始末。少し離れたところのバールに行ったが、既にそこも中国人経営に変わっていた。一昨年前の「ミラノ万博」効果でかなりミラノも変わったが、便利に、そして綺麗に、近代的になったところもあれば、外国人がやたら増え、雰囲気が変わってきているところも多い。いいのか悪いのか...
そして、モンテッソーリと寄ったバールの目と鼻の先に、共通の日本人のお友達がいるので、連絡してみましょうか?と電話を入れようとしてみたが、あいにく彼女の電話番号が見つからず。(結局ローマ字入力ではなく、なぜか日本語で入力されていたことを後で気づいた)一か八か外から呼んでみましょうか?彼女の名前を外から叫んでみたが、反応なし。お出かけか...いや、ピアノのあるお部屋に電気がついている。絶対いますよ。しつこく大声で怒鳴ってみたら、ふと窓が開いたので、かけよって「Iさんが今来てくれてるんですよ〜」と言うと、すぐに出てきてくれた。友人のピアノの元生徒さんだったと勘違いしていたが、彼女たちは同じ沖縄出身だったことを思い出した。
「うわーっ嬉しい!」と彼女たち。友人との再会ほど嬉しいものはない。通りがかりの人にいきなり声をかけて、サンシーロをバックに記念写真を撮ってもらった。
私も帰国の度に元ミラノ組と集合する。苦しかったこと、悲しかったことも、後になれば笑顔で語れる。懐かしいね。いい時期だったね...と。努力や忍耐も無駄ではなかったと今だから分かるもの。毎年恒例になっている元ミラノ組の再会をまた期待している!!