四旬節に入り、復活祭に向け心静かに過ごしたいものだが、まあ毎日が忙しない。
それでも、聖歌隊の練習やら選曲で典礼音楽を聴いていることも多く、聖アゴスティーノは、”歌うことは2倍祈る”といったが、やはり祈るためには、言葉を理解し、噛み砕くというか丸呑みするというか、とにかく受け入れることが大切。でないと、心にも人にも祈りは届かない。
ところで、最近やたら歌っているのが、グレゴリオ聖歌。
グレゴリオ聖歌についてはいろいろな説があるが、古いグレゴリオ聖歌は中世盛期=8世紀~10世紀に作曲されたと考えられている。しかし、グレゴリオ聖歌はそれ以後もずっと作曲され続けてきた。新しい典礼文や典礼の改正などに応じて作曲されているからである。聖歌の呼称はグレゴリウスⅠ世(c.540-604、在位590-604)が関わっていたとされるのが所以である。
グレゴリオ聖歌は純粋に典礼音楽、聖歌であるが、単旋律で伴奏を持たず、また和音も持たない。
また、グレゴリオ聖歌の最大の特徴は「ネウマ」と呼ばれる独特の譜法で記譜されていること。現在の譜法とは似て非なるものであり、音高や音程も不明確。つまり口承は耳で覚える暗譜が前提ということか?笑
歴史的には、教会では男性および少年合唱によって、また修道会では修道僧、修道女によってグレゴリオ聖歌は歌われてきた。ちなみに歌詞はすべてラテン語が用いられる。それはローマ・カトリック教会では、第二ヴァチカン公会議(1962-65)まで公式典礼文はすべてラテン語が用いられていたからである。現在は典礼改革により全世界のカトリック教会では典礼文や聖歌にも各民族言語が用いられるようになった。
この典礼文の各民族語への改革が、グレゴリオ聖歌を典礼から遠ざけたようである。ただし、ヴァチカンの見解としては、依然としてグレゴリオ聖歌が典礼にもっともふさわしい音楽形態であると考えられており、カトリック教会の公的な音楽であり、賛美に最もふさわしいと思われているようだ。特に、コンセルヴァトリオを優秀な成績で卒業した音楽担当の司祭をもつ我がパロッキアにも、グレゴリオ聖歌が求められるのは、自然といえば自然の成り行きであろう...
でも、意味わかんないし、きっついのなんのって!
こちらは現在ヒーヒーいいながら勉強中のVictimae Paschiali Laudes 「過越のいけにえに」。聖週間の聖土曜日に歌う一曲。
Victimae paschiali laudes
Victimae paschali laudes 過ぎ越しのいけにえに
Immolent Christiani. 賛美をささげよ、キリスト者たちよ。
Agnus redemit oves 子羊が羊を贖い。
Christus innocens Patri 罪のないキリストが父に
Reconciliavit 罪びとたちを
Peccatores. とりなされた。
Mors et vita duello 死と命とは戦い
Conflixere mirando, 驚くべき仕方でぶつかりあう。
Dux vitae mortuus 命の王は、死ぬことで
Regnat vivus. 生きて治められる。
Dic nobis Maria マリアよ、私たちに告げよ。
Quid vidisti in via? あなたが道で見たものを。
Sepulcrum Christi viventis 生きているキリストの墓を
Et gloriam vidi resurgentis. そして蘇られた方の栄光を、わたくしは見た。
Angelicos testes 証しする天の使と
Sudarium et vestes. 布と服を。
Surrexit Christus spes mea 私の希望、キリストは復活し
Praecedet suos in Galilaeam. ガリラヤに行き、待っておられる。
Credendum est magis soli 真を語るマリアを
Mariae veraci 信ぜよ
Quam Iudaeorum 嘘を語る
Turbae fallaci. ユダヤの群集ではなく。
Scimus Christum surrexisse 私たちは知っている。キリストが
A mortuis vere. 真に死から立ち上がられたことを。
Tu nobis victor Rex 勝利の王であるあなた、どうか私たちを
miserere. あわれみたまえ。
Amen, Alleluia. アーメン(かくあれ)、アレルヤ(神を讃えよ)
少し祈りあたりは、ラテン語で言えるようになったほうがいいかな?と思い、教会ラテン語の本を引っ張り出してみた。ああ、また自分の首をしめる四旬節...

http://pietro.music.coocan.jp/storia/cantus_gregorianus.html
