四旬節第1金曜日。
私が所属するミラノ・サンシーロ小教区では毎年この日に、小教区内の一教会がホストとなって(毎年順番制)他教会の信者とともに祈りを捧げてきている。考えてみれば、私が洗礼を受けたのは、11年前の復活祭だが、10年前の四旬節第1金曜日に小教区にて、「洗礼の告白」を教会代表でした。あれから10年。
今日はちょっと不便な場所だったので行かなかったが、明日の土曜日の夕方にも、我がパロッキアにて小教区の信者が集まり、ミラノ大司教代理司式のミサにあずかる。
先週一度だけ、別のパロッキアの聖歌隊と合同練習をしたが、指導が厳しいのなんの!自分のパロッキアがいかに甘いかを知らされた。ラテン語、ドロドロ...毎日youtubeを聞いているが、難しすぎる!
ところで、四旬節では伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われ、償いの業が奨励されてきた。
伝統的に、四旬節の節制は、祈り、断食、慈善の3点を通じた悔い改めの表明と解される。とはいえ、現在のイタリア内でのカトリック教会での様子はどうだろうか?いやはや、個人の問題とはいえ、節制ってどうなんでしょ?慈善活動ってどうなんでしょ?と感じる。
四旬節中に食事の節制を行う慣習には実践的な意味もあるとされている。というのも、古代世界では秋の収穫が初春には少なくなることが多かったため、春に入る時期には食事を質素なものにして乗り切らなければならなかったのである。健康に対する心かげも同じ。デトックス、デトックス...
また、典礼的に言うと、喜びを抑える時期という伝統から、カトリック教会のミサやルーテル教会の礼拝では、四旬節中は「栄光唱」(グローリア)、「アレルヤ唱」が歌われない。また、福音朗読の前のアレルヤ唱は詠唱に代えられる。
そして、忘れちゃいけない。大斎•小斎もある。大斎は、1日に1回だけの十分な食事と、その他に朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満60歳に達するまでのすべての成人が守る。小斎は、肉類を食べないことだが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の人が守る。どちらも、病気や妊娠などの理由がある人は免除。大斎と小斎を守る日は、灰の水(日)曜日と聖金曜日(「復活の主日」直前の金曜日)。小斎を守る日は、祭日を除く毎金曜日。
そして、四旬節中の金曜日、正式には午後3時頃、イエス・キリストの受難を思い起こす儀式である「ヴィアクルーチス」(十字架の道行き)を行う習慣がある。この十年通い続けているが、来ているのは、ほとんどがお年寄り。昨年まで金曜日の午前中はItamaがあったし、現在はイタリア語講座から大急ぎで帰宅し、昼食を子供達と食べ、パロッキアへ行くが、座った途端に睡魔に襲われる闘いの時間。
今日もしんどかったなあ。苦笑
主よ、あなたの扉を閉じないでください。
たとえ、私が時間かかり、遅くなったとしても。
どうぞ、扉を閉じないでください。
私は扉を叩きにきました。
あわれみ深い主よ、涙に濡れながら
あなたを探しに来たものに、
扉を開けてください。
あなたの宴に私を招き、天国のパンを
私に授けてください。
最後に司祭の趣味?か守護天使への祈りも捧げられた。
Angelo di Dio che sei il mio custode,
illumina, custodisci, reggi e governa me
che ti fui affidato dalla Pietà Celeste. Amen.
守護の天使よ、
主のいつくしみによってあなたにゆだねられたこのわたしを照らし、守り、導いてください。アーメン。
