東日本大震災から6年が経ち、今日空手の稽古では、はじめに1分間の黙祷が持たれた。
長男と次男はあとからのクラスに来るかと思っていたら、休み。個人的には、イタリア人よりも、日本人、特に高校生をはじめ、明日を担う若者たちとその場で、被災者のこと、復興に向けて頑張っている人たちを思い、共に祈りたかったと思うが、結構休みが多かった。
夕飯の時、長男に空手の稽古で1分間の黙祷が持たれたんだよ、というと、「へ〜」と言っていた。「へ〜」で終わらせないでよ。補習校で黙祷した?と聞くと、それもなかったようだ。非常に残念。
震災が起きた時、周りのイタリア人が日本のために何かしたいとすぐに言ってきてくれた。ミラノとしては、日本の象徴として、在ミラノ日本人学校で何かをしたいと思った人が大勢いたようだが、すぐに反応がなかった。批判をする気はさらさらないが、もちろん、日本の外務省や文科省などの対応やら立場というものあったかもしれないが、少し落胆したものだ。そういう意味では,早々にドウモで哀悼ミサが立てられ、その対応の早さには感動したものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=7WgNLQQ-KNQ&feature=player_embedded
東日本大震災では、多くの人が亡くなった。現在も避難生活を続ける人々は12万3000人余り、9万人余りが仮設住宅などで暮らしているという。被災者たちの思いは、課題は何なのか?
たとえ、直接的に何かできなくても、それを風化させないためにも「祈る」気持ちは大切。日本に限らず世界的に経済状態に厳しいものがあり、他の国や地域への支援に目が向かなくなりつつある昨今、世界の兄弟姉妹が共に生き延びていくために、常に助けを必要としている人たちへ連帯の手をさしのべることが大切。忘れ去られた人を生み出さないように、支援していきたいものです。
