四旬節2017 〜 灰の日曜日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日からミラノのアンブロジアーノ典礼も四旬節に突入し、「灰」の儀式に授かった。

 

 

「四旬節」とは、公生活に入る前のキリストが荒野で40日間の断食を行ったことを思い起こし、復活祭までの主日(日曜日)を除く40日間、悔悛し、祈り、断食や節制、施しや愛徳の実践を通して、キリストの復活の記念によりよい形で与る準備をする期間である。

アンブロジアーノ典礼での四旬節第1週は、ABC年に関わらず「荒れ野での誘惑」(マタイ4:1-11)の部分を読む。


「灰の日曜日」には、死と痛悔の象徴である灰を、頭や額に受ける「灰の式」が行われるが、ここでは、前年の「枝の主日」(復活祭直前の日曜日)に祝福されたオリーブの枝を燃やした灰が使用される。(が、我が家には毎年オリーブの枝が溜まっていく..あちゃ〜。)聖歌はPurificami o Signore 詩篇51篇「罪とゆるし」の歌である。

 

 

私を清めてください。雪よりも白くなるように。

詩篇はダビデ王に書かれたもので150篇にまで及ぶ。彼は自分の悪事を認めて後悔する内容の詩が7つあるとされているが、特に51篇は、信仰を揺さぶる内容ではあるが、罪を悔い改めた人の心を慰めるために書かれたものだと言われている。

ダビデは、自分の心の中にある救いようのない罪深さを直視し苦しむが、そこからも神の力と哀れみを見出し、その結果、どのような罪でも、へりくだって神に近づくのなら、神に赦された者は、清く生まれ変わる希望をあたえてくれる。ちなみに先週、参列したご近所のおじいちゃまの葬儀の入祭の歌も この曲だった。身を綺麗にして天国に向かうともとれるか...

 

四旬節のテーマはある意味、自分を荒れ野に置いてみることかもしれない。そこで、もう一度、神とのつながり、人とのつながりを見つめ直す必要がある。生きるのに、ギリギリのところだからこそ、この自分を生(活)かしてくださる神を思い、同時に苦しい状況の中で生きている兄弟姉妹たちとの連帯、ソリダリエタを思う...。

 

あなたにとっての荒れ野とはなんでしょうか。