ペンギンは子供に餌をあげるのではなく、餌の魚の捕り方をを教えてあげるという。それが、ペンギンの教育。だから、ペンギンたちは、誰に言われなくても自由に生きている。いいなあ。
親バカチャンチャカリンではあるが、どうしても、子供達に「あれはしたの?」「これはどうなっているの?」とついつい口を出してしまう。その度に「うるさいなあ。」と怒鳴り返される。それで、できなきゃ自分の問題。とわかりつつも、手はだすが、口も出すが、お金は出さない。爆 そして、子供たちも大抵は「やった」とはいうが、やっていなかったり、やっていても忘れていく始末。あちゃー。そこまでは知らんよ!!
ところで、「させる勉強」から「する勉強」にさせるのは、非常に難しい。出来る子はできるのに、なぜ我が家はダメなんだ?私が口を出すからか?
私は、子供の頃、親にうるさく言われた記憶はない。決して成績が良かったわけではないが、努力と妥協のミックスで、それなりに自分の納得のいく人生になっていると思うが、子供達を見ていると、この先どうよ!!と言いたくなってしまう。
子供が小さい頃は、させなければ勉強は始めない。だから親の協力が必要だと学校からひっきりなしに言われる。しかし、させることに慣れてしまうと、子供たちは言われなければやらない子になってしまう。
そして、大きくなっても見かけるのは、言われたことはできるけれど、自分からは何もできない。何をしていいかわからない子の多さ。
補習校の高等部の先生は、毎回「”何がしたいか”ではなく、”何をしなくてはならないか”を認識せよ。」とおっしゃる。確かに、補習校に通う限りは、何をしたいかではなく、そこでしなくてはならないことをしなくてはならない。(通う限り)けれど、個人的には、常に「”何がしたいか”と同時に”今、何をしなければならないか”を合わせて考えられる人」になることが大切だと常に思う。
もちろん、その両者が競合するときは、”しなければならないこと”を優先して行える判断力と意思の力が必要。
また、”してはいけないこと”にしても同様だ。誘惑に負けない、強い心を持たなければならない。長男なんて誘惑に負けっぱなし。プライドを持て!
朝起きることとて然り。目覚まし時計とともに起きろ!時間は守れ!プライオリティーを決め、生活の随所にブレーキをかけろ!!...と書いて、結局自分に全て戻ってくる言葉だから情けなくなってしまう。あちゃ〜。涙
それとは別に、自分のしたいこと(欲望など)「したい性」を優先してしまい、ましてやそれが伸び放題になってしまうと、「主体性」は伸びない。子供達が真に自由になるためには、自分に「待った」をかけられる強い自分を育てることも必要だろう。
結局最終的には、大人がまず自分の「したい性」を抑えて、主体性を身につけて行かなければならない時もある。子供の前での携帯電話などもそうだろう。人は自分が持っていないものを他人に与えることはできない。
なんだかんだいってやっぱり私自身、ペンギンに学ばねばなりそうだ。苦笑
