31年後の私に思う | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今から31年後ではなく、31年前の私をみて、今の私を思う話。

 

今朝、あるノートを探していたら、偶然にも学生時代のファイルが出てきた。それは「国語表現法」という授業で書いた、作文の下書きと原稿。下書きには、担任のコメントが真っ赤に書き込まれていた。

 

「ある貴重な体験」として書かれた文章を読み、当時19歳の私がどういった行動をとったか知り、驚きと今の私を比べ考えさせられた。

 

以下は、その抜粋である。

 

...千代田線でのこと。少し疲れもあったためぼーっとしていました。ふと何気に隣の車両を見ていたら見知らぬ男の子と目が合いました。するとその人は軽く一礼をしましたがまさか私にしているとは知らず無視しました。

 

しばらくして、その男の子の方を見ると隣の高校生らしき女の子と握手していたので知り合いなのかとしか思わず寝てしまいました。突然、肩を叩かれ目を覚ますと先ほどの男の子が隣に座っていて帽子をとり一礼しズボンのポケットから紙切れ一枚を私に出しました。その時、周りの人は私を見ているし、彼の動作は無言のままで恥ずかしさと気味の悪さで顔が赤くなるのがわかりました。とにかく手紙を読んで見ると丁寧な字で僕は耳が不自由なのでうまく話せません。...握手してください。と書いてありました。

 

そこでなるほどあの女の子と握手していたのはこの手紙を読んだからかと納得し素直に握手しました。私はボランティアグループに所属し、多少の手話を習っていたので私の名前を教え、あなたの名前はなんですか?とたずねるとすぐに定期入れを出し、名前を指さしました。小浜君と言い、私と同じ19歳でした。私の年も聞かれたので、手の平に19と書くと同じ年に気づき再び握手を求められました。小浜君がさっと正面を向くと、正面の人たちは顔を背けました。

 

すぐに終点についてしまい最後に「さようなら」と口を動かし握手をすると彼はまた他の人に同じことを繰り返していました。....

 

と言った話。今の私だったら、手を差し出しただろうか? 正面にいた人のように、見てみないふりをしなかっただろうか? ミラノの地下鉄内だったら、絶対やっていないように思える。

 

私たち大人は、将来を担う子供たちに対し、弱っている人や困っている人がいた時に、自分なら何ができるかということを常に考えられる人間を育てることが大切。それなのに、大人が躊躇してどうする! 精神的苦痛を感じた人が、自らスキンシップを求めるということは、大きな勇気がいるはず。その彼の勇気に感動し、私自身にも意志の疎通ができたことを喜んでいたのに、ちょっとでも迷った私は、この30年で世の中が変わったのか、私自身が変わってしまったのだろうか?と思った。

 

この1年「いつくしみの特別聖年」を過ごし、また年末にミラノの刑務所を訪れ、感じた悲しみや希望、全てを含めた空気に触れたのにもかかわらず、私は何かをまた忘れていた。

 

自分の貧しさより、他人の貧しさ、困難さに気付くことができるのは、「尊厳」なのだとパパ様は以前おっしゃっていた。自分より苦しむ人に連帯し、助け合うという力は、貧しさが教えてくれるものだが、多くの豊かさを持つ時、すべてを持っていることに慣れすぎて、貧しい人に連帯することを忘れてしまう、ともおっしゃっていた。今の私だ。聖書の中にある「貧しさ」を読み取れていない。

 

深い反省とともに、純粋な心に戻りたいと思った。