ミラノ市庁舎があるマリーノ宮で行われているピエロ・デラ・フランチェスカ 「慈悲の聖母」(La Madonna della Misericordia)を鑑てきた。
ピエロ・デラ・フランチェスカの「慈悲の聖母」は、ピエロ・デラ・フランチェスカが生まれたイタリア中部、ウンブリア州のアレッツォのサンセポルクロ市立美術館から搬入されたもの。
ピエロ•デラ•フランチェスカは15世紀に活躍したウンブリア派(ウンブリア地方に始まった画派)最大の巨匠。遠近法や数学者としても活躍しており、画家の著書「絵画の遠近法」というのがあるそうだが、ウンブリア派独自の画風でもある遠近法や明瞭な色彩、秩序高い空間構成などが有名である。
ところで、前日友人はお昼過ぎに行ったら、20分で入れましたよ、と言っていたので、私も午後に行ったが、なんと45分も並んだ。一度に30-35人が中に入れられるが、5分は入り口の中で待たされ、5分は絵の説明、そして最後の5分に実物を鑑賞。えっこれだけのために1時間?!と次男は驚いていたが、そう、このために1時間なのよ!!
中世の人々は、戦争やペストのような災いは、すべて神の審判であると考えていたそうだ。だからこそ、聖人や聖母の庇護のもとに自らを置き、そうした災厄から逃れたいと祈ったのだろう。聖母マリアがマントを広げ、その下に慈悲を乞う絵はよく見かけるが、「保護のマント」は中世以来の伝統で、信者たちは階層的に小さく描かれ(そして重要な人物は大きく表わされる)、半円形に片側に4人ずつ設定されている。この聖母の右側には男性(左奥の男性がピエロだと言われている)、または聖職者、左側には女性、または俗人が躓いて、が合掌した形で表現されている。
ガイドによると、1445年に地元のミゼルコルディア信心会から彼らの教会の祭壇に設置するための作品の依頼を受けたという。信心会は3年以内に彼自身の筆によって作品を完成させることということだっが、実際には祭壇画の制作には弟子の手も入り、信心会の度重なる催促にもかかわらず、17年もの年数がかかったという。シエナの聖ベルナルディーノの頭部に円形の後光が描かれていることから、彼は聖人になった後に描き終わったこともわかる。(聖ベルナルディーノは1450年に聖人に列聖される。)
ぼけぼけ画像であるが、規則正しい形態にピエロの幾何学形態に対する興味が伺える。マントの円筒形、後光と王冠の円錐形、顔の卵形。マリアの帯は十字の形に結ばれている。そして、聖母左右には、左から聖セバスチャン、洗礼者ヨハネ、聖アンデレ、シエナのフランチェスコ修道会の聖ベルナルディーノと並ぶ。
セバスチャンと洗礼者ヨハネの部分がこの祭壇画で最初に描かれた部分とされている。セバスチャンは疫病に対する守護聖人として、ルネッサンス時代からヌードで矢に突き刺された様子で描かれてきた。この聖人像で画家達は人体を表わす試みをしていたという。この聖セバスチャンは無骨で写実的な裸体像になっているが、奥行きのない金色の空間にありながら、人物像は肉と骨でできた人間の身体の丸みがきちんと表わされている。素晴らしい!
また、フィレンツェの守護聖人でもある洗礼者ヨハネは喉の病気の守護聖人でもある。いつも身につけている毛皮ではなく赤いマントをつけ、聖母を指し示している。
それにしても絵を見る前に、次男にspontiniの切り売りピッツアを食べさせたが、終了後、またお腹が空いたというので、ドウモ広場のクリスマスマーケットにて揚げパンを購入。その後、中華街へ買い出しに出かけたが、そこでもラムネを飲んでいる。どんだけ腹に詰め込めば良いのか?!ったく。とはいえ、学校で学んだというルネッサンス初期の絵の特徴を沢山説明してくれた。「それにしても、あの聖母マリア首が太くて怖いよ。」と指摘。変なところよく見てるんだあ。笑
ところで、ミラノの百貨店、リナシャンテのウインドウにディスプレイされていた、”マダムバタフライ”のマネキンをやっとこの目で見ることができた。感動!
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12222954848.html




