そうだ、トルコへ行こう 〜 その② エフェソス遺跡編 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

イエス•キリストが亡くなり、弟子の一人であったピエトロは神の代理人、つまり教皇となったが、やはりローマ皇帝の迫害に遭い、西暦64年にヴァチカンの丘で処刑された。一方、直接の弟子ではなく、当初は迫害側にいたトルコ人のサウロも回心。(後のパウロ)(西暦34年頃)宣教のため、3度も旅に出ている。その辺は、新約聖書の信徒言行録を読むと解るが、聖パウロも宣教のため滞在した町、エフェソス。聖書には「エフェソの人々への手紙」に登場する場所。当時の町が遺跡としてほぼそのままに残されているからすごい。

ところで、トルコはテロの影響で、観光客もどっと減ったというが、日本からのツーリストはもちろん、在外邦人とも一度も出会わなかった。閑散とした遺跡のほうが、妄想の世界に入りやすい。笑

 

エフェソスはもともとアルテミス崇拝で知られたギリシャ人都市であったという。もともとは港湾都市であったが、土砂の堆積により現在は海岸から離れている。文化的にも繁栄した町であったが、周辺の湿地帯に発生したマラリアの蔓延のため、人口の減少に拍車をかけ、廃墟と化した。

 

まるまる1時間半かけて、遺跡内を歩き説明を聞いた。ギリシャの植民都市としてその歴史がスタートしたが、紀元前1世紀頃、ローマからカエサルはのアントニウスとエジプトのクレオパトラが滞在したそうだ。アルテミス神殿に退避していたクレオパトラの妹は二人の策略で殺害されているとのこと。そして、4世紀にローマ帝国がキリスト教を国教としたことで、エフェソスは更に発展。431年にはエフェソス公会議も開催されるほどの重要な宗教都市となっていたそうだ。

 

 ちなみに、次男が古代ギリシャ建築における建築様式を一生懸命説明してくれたが、母は、どれがコリント式で、どれがドリアンだかドーリア式で、イオニア式だか全くわかりませんでした。すいません。苦笑

 

こちらは、ニケの女神。 ギリシャ神話に出てくる「勝利の女神」だ。ちなみに、「NIKE」ことナイキ社名はこの勝利の女神、ニケが由来だという。あのロゴは、女神の衣のラインから取ったという話だが、真相は定かではないとのこと。

 

 

面白かったのは、こちら、公衆トイレ。

 

 男性用だそうだが、冷たい便座は奴隷が先に座って温めたという。少し坂の上に公衆浴場があり、そこのお湯が流れてくるので、汚物はそのまま流されていく造り。賢い!

 

 こちらは、2万4千人を収容できた大劇場だというが、聖パウロもここで、説教をしたと思われる。他にも、図書館や娼館など興味深い場所がたくさんあった。

 

逆にアルテミス神殿(跡)は、発見したイギリス人が遺跡すべて大英博物館に持って行ってしまったそうで、残っているのは、この柱一本。神殿の悲哀を物語っている。

 

 

そして、エフェソスの遺跡とは少し離れたところにある、聖ヨハネ教会跡にも出かけた。

 

 

キリストが亡くなった後、弟子の一人であったヨハネと聖母マリアは、この地を訪れ、晩年を過ごしたようだ。

 

 

イスラム教徒が99パーセントを占めるトルコにおいて、カトリック信徒は全土でわずか3万2千人の小数派の存在であるが、パウロの時代は、またユダヤ教から徐々に改宗されていっている時代だった。

 

エフェソにいる聖なる人々、キリスト・イエスに結ばれている忠実なみなさんへ

わたしたちの父である神と主イエス•キリストからの、恵みと平和があなた方にありますように。(エフェソ1:1-2)

 

「恵み」は、人々と世を造り変える力。「平和」は、この変容がもたらす実り。キリストは恵み。キリストは平和。...キリストに賛美。