早々とミラノカトリック日本人会では、クリスマスミサが行われた。
クリスマスとはいえ、典礼は当日の福音。聖書には度々天使が登場する。
「聖書」によっては「御使い」と表記しているものもある。考えてみれば聖歌 ”あめのみつかいの” は「天」が「あま」→「あめ」になったのかあと気づく。
🎶天のみつかいの 歌声ひびく
星影さやかな 牧場の空に
Gloria in excelsis Deo
Gloria in excelsis Deo
ちなみに、プロテスタントでは「荒野の果てに」という。話は戻るが、「天使」は「天」=絶対神、の使いと意味するわけだ。 また英語のangelの語源はギリシャ語のアンゲロス(angelos)にある。これは、「新約聖書」編纂の際、ヘブライ語の「マラク(malakh)」の訳語として使われたもので、その意味するところは「使者」「伝令」だという。神学者のトマス•アクイナスによれば、天使は非物質的霊魂とみなし、天使は肉体がなく、純粋に霊的な存在だという。また、中世のユダヤ人哲学者のマイモニデスによれば、天使の「非身体生」を、単なる比喩的表現に過ぎないと断じている。つまり、よく宗教画にみる翼を持った人間、つまり天使の姿はあくまでも比喩ということ。では性 別は...???まあきりがないので、この辺にしておこう。
何れにしても、先日の日曜日のローマ典礼では、イエスの父とされるヨセフの夢の中に天使が現れる。ダビデの子ヨセフ、恐れず妻を迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。....
天使は、常に「恐れることはない」と言ってなだめてくださる。私たちは、毎日、意識していなくてもどこかに不安や心配事、恐れなるものを持っているんじゃないだろうか。来年はどうなるだろう? 親の健康、家族の健康、そして自分の健康のこと。経済的なこと。政治的なこと。いつ失業するかわからない恐れ、などなど心配事は絶えない。けれど、天使がいう「恐れるな」は必要でない恐れを乗り越えるための勇気、希望の言葉。これはまさにクリスマスに大切なメッセージなんじゃないだろうか? と気がしまう今日この頃。
ところで、上記ごミサの後、食事会及びクリスマス会が行われた。ここ数年私たちの会では里親プロジェクトとして、ミャンマーにいる6歳の女の子のアンナちゃんを支援している。出産前後に父親が行方不明になり、途方にくれた母親が、修道院の戸を叩いたのだという。結局父親は亡くなっていたことが判明したと今回聞いた。最近の写真とともに手紙が送られてきていたが、小さい時から、くらい影のあるアンナちゃんだったが、ぐっと身長も伸び、小学校に通い始め、ちょっと明るさを感じられるようになった写真だった。私たちのことを第2の家族だと思っている、と書かれていた。細々とでもこの支援は続けていかないといけない。また、こういった支援金は、ポケットに余ったお金から出すのではなく、何かをし、自分の身を削って得たお金を出すことに意味があるだろう。だから、金額に限らず私も何か手作りのものを毎年提供している。
ところで、11年前、私が洗礼の準備をしていた時、一時的に一緒に勉強をしていた仲間の一人である写真家•仁木君は日本人会のクリスマスと復活祭のミサには必ず来てくれる。当時私は次男出産し、スリングに入れて抱きながら勉強に出かけていた。次男が歩き出すと、勉強どころではないこともあったが、私の洗礼1年後に彼と、他2名の女性が受洗。今回のごミサではその3名が初めて顔を揃えることができた。
この仁木君、G.アルマーニ、ケイト•モス、P.ジローラモなどをはじめとするセレブのポートレートや、ファッション、旅、カルチャーなど、幅広いジャンルで世界各国の雑誌、雑誌に寄稿中。作品は被写体を光で包み込むような空気感で知られ、イタリアのメジャーし美術欄では「瞑想に誘う写真」と評価されている。
天使の魅力に導かれ、長年彼のサイトで世界中の天使の画像が紹介されてきていたが、この度、写真集となり出版された。その写真集「天使の写真」を太っ腹にも5冊提供してくださった。現在、銀座5丁目東急プラザ銀座、ストラスブルゴ銀座店1階で写真展が開催されている。(26日まで)お近くの方は是非覗いてみてください。
そして、天使といえば、イタリアではカトリックの幼稚園では必ず習うのが「守護の天使への祈り」。長女が生まれた時に、どなたかに頂いた壁掛けが考えてみれば、イタリア語版守護の天使への祈りだった。
守護の天使よ、
主のいつくしみによってあなたにゆだねられたこのわたしを照らし、守り、導いてください。アーメン。
たまに私の身に奇跡的なことや、不思議な出会いが起きる時、もしかしたら、この人、この出来事は、神様が遣わした方(こと)なのでは?と思うことがある。守護の天使は、私の生涯の良き友として、片時も離れることなく、常にそばにいてくださる。それは熱心で経験な信者にだけではなく、それが罪深い不信仰な信者であろうと片時も離れない天使が...。
ミサ中の「感謝の賛歌」いわゆる「サント」では、
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。
万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。
天のいと高きところにホザンナ。
ほむべきかな、主の名によりて来たるもの。
天のいと高きところにホザンナ
...と歌うたび、何気にお御堂の天井を見上げては、どこかで天使が舞っているのでは?と想像してしまうのも不思議。
画像は、幼きマリア(マリアバンビーナ)修道院のお御堂。
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