やっと仕事も終わり、通常生活に戻った。
2週間ぶりの語学学校。
教育に関する記事10ページを読んで、自分の意見をまとめる宿題があったが、仕事中、行き帰りの地下鉄の中で読んでいたが、毎回初めから読み直し。最後まで到達できず。ただ、漠然とした意見はあったのだが、メモを書いている暇がない。普段自転車で学校へ通うが、今日は地下鉄を利用し、直接手書きで書いていったが、やはり最後まで考えがまとめきれなかった。
書くことは好きだが、まだまだイタリア語の文章を書くには思い切り時間を費やしてしまう。
若い頃、職場でアメリカのロースクール留学を目指す若手の弁護士たちと共に、昼休みTOEFLの勉強をしていた。指導者はイギリス人弁護士。(実際そこでイタリア人弁護士とイタリア語も始めたのが、イタリアに触れるきっかけだったのだが。)若手弁護士らは、こつこつお勉強することは、得意の分野だろうから、初めは同じスタートでもあっという間に600点近い点数が取れちゃう。ちっ。やっぱり弁護士と一緒に肩を並べて勉強すること自体無茶だったんだわ、と思ったものだ。とはいえ、試験内容の一つであるエッセイは書いていくと、コツも得ていくし、意外に好きだった。それが今じゃ、起承転結って何?というよりも、英語の単語さえでてこない始末。頭と言語は使わないとダメと実感。
いきなり頭を使ったので脳がフリーズ。集中力も散漫で思わずコクリと行ってしまいそうだった。落ち込んで帰宅。構想を練り直してまた書くか...とはいえ、また金曜日までに新たなテーマもあるようで、クラスメートのプリントの画像だけ撮ってきたが、あと2日でできるんだろうか。
とはいえ、書くことはある意味、要領と経験、そしてコツを習得するのが大切。それは日本語とて同様。子供達にも簡単なものでいいから、文章を書く練習しようよ、と言うが、しら~っ。先日、長男何ぞ、日系の会社でアルバイトする際、日本語でメールを書くのに、文章に自信がないからと言って、仕事をしている私に何度も電話をしてきては、こう書けばいい?この文章はどう?と聞いてきた。仲間の友達はそれを皆コピーしたらしいから笑ってしまう。
また、毎年、補習校の夏休みの宿題である、読書感想文なんぞ、あれは親の宿題同様だ。長男、次男、「面白かったです。」「君も読むといいよ。」ってなんじゃそりゃ?って感じで、一緒に読んで、少しずつ、あらすじやら感じた事を引き出して、それを色々と付けたし、膨らませてやっと指定範囲の文字数になるくらいである。かと思えば、小さい頃から感受性の強かった長女は、また5歳から10歳まで日本語で日記を書いていた事もあるが、文章を書く事は得意で、逆に原稿用に書きたい事が書ききれず周りをぐるぐる書いていたな。笑 高校時代、イタリア人に混ざって散文コンクールで入賞した時は、さすがだと思った。
私も、子供の頃から作文が好きだった。よく毎日、ブログに何を書く事があるの?とよく聞かれるが、だって毎日、見るもの、聞くもの、感じるもの沢山あるでしょ? と思う。ヘッドフォーンをしている人は、外せばいい。車に乗っている人は歩けばいい。違う角度で物事を見ると、違うものが見えてくるかもしれない。ネタなんていろいろあるもの。
とはいえ、書くは話すに優らず。話すは思うに優らず。
思いは呑み込む事も必要な時があるけれど、アウトプットして初めてインプットされるものもある。まあ、私はイカスミ。毒を吐きすぎかな。爆