待降節に入り、聖職者や教会員の祝福(家庭訪問)が始まった。別に、宗教の勧誘ではないので、前もって地域の教会からこういう人間がお宅を訪問します、という写真付きの手紙をポストに投函されていた。
今年は、我が家がある通りの訪問は司祭ではなく、教会員であった。とはいえ、我がパロッキアにはシスターたちも大勢いるので、大抵シスターと一緒に二人組で回る。
信者であろうが、なかろうが、また別の信仰を持っている方にも平和がもたらされるよう祈りを込めた祝福だ。なので、決して、勧誘ではないし、寄付も求めていないが、嫌がる家庭も少なくはないはず。それを思うと、私は訪問だけはしたくないな...とついつい思ってしまう。
夏のオラトリオの受付をしていた際、私が受け付けます、と言うと、「外国人の女性にか?」「自分は君のことは知らない。」と言われ、一応責任者として鍵も預かり、お金の管理もしているんですが...それでも信用できないというのなら、司祭が戻るまでお待ち下さい!と本来は、カチンと来て、鼻息が荒くなりそうだったが、なんとか抑えて対応すると、支払ったものの、後で念のために司祭に確認の電話をいれていたあるイタリア人の父親がいた。大体、毎週教会に来てたら、私の顔くらい見てるでしょうが!と思うものだが、教会内も閉鎖的な人間は多く、外国人をやたら嫌がるイタリア人(特にお年寄り)は多い。非常に残念だ。
...と話は逸れたが、昨日我が家に祝福の二人組がやってきた。近所の83歳のおじいちゃんとインドネシア人のシスター二人。おじいちゃんは、深夜ミサや、小教区の夜の行事の帰りなどは、「僕がカヴァリエーレ(騎士)になってあげよう。」と言って送ってくださるのだが、毎回、奥様のおばあちゃんの顔が一瞬むっとした様子になるし、丁重にお断りするのだが、そうは言わず...と言って送ってくださる。それはそれで良いのだが、話が長く、家の前についてもなかなか話が切れず、寒いわ、眠いわ、といった感じになる。彼は、長年教会に評議員として奉仕されてきたが、80歳を過ぎ、引退する際、一応選挙でメンバーは選出されるものの、いきなり私の名前が入っていたことがあって、驚き、名前を消して欲しいと司祭に頼んだことがあるが、黒幕はこのおじいちゃんだった。
とまたまた大幅に話が逸れてしまったが、今年のクリスマスに頂いたカードはこちら。
「夜のゲラルド」と呼ばれたオランダの芸術家ヘラルト・ファン・ホントホルストによる「幼児イエスを礼拝する聖母」。生まれたイエスから光が発していて、マリアや天使たちを下から照らし出している。
下記の祈りを一緒に読んだ。
私たちの中に住まわれようとされる、受肉の秘儀である主イエスよ、
この家庭を訪問し、この家を祝福してください。
すべての人にあなたの平和をお与えください。
成長における若者や子供達を助け、勉学、仕事をするものの努力を祝福して下さい。
孤独や苦しんでいる人を励まし、あなたの祝福と共に、人々を安心させて下さい。
アーメン
次に「主の祈り」。日本語でできる?と言われたが、急に言われても...結局、イタリア語で祈った。
家庭は愛と平和を与え、受ける場所。
そこで、マザーテレサの祈りの一部を思い出した。
世界の平和は、まず家庭の平和から始まります。
平和は、ほほえみから始まります。
一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみかけることは、あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい時があるものです。
「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。
アーメン。
