待降節 2016 〜 レクティオ•ディヴィナ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

ついにアヴェントと呼ばれる「待降節」が始まった。先日も書いたが、ミラノのアンブロジアーノ典礼は、他のローマ典礼よりも2週間早い6週間のクリスマスの準備期間である。

 

私の所属するパロッキアは、待降節や復活祭前の四旬節中のミサは、途中から子供と大人に分かれる。子供達は、お御堂の奥にある集会室へ司祭とカテキスタ達と移動し、子供向けの聖歌やお説教を聞き、あるタイミングでまた合同になり閉祭を迎える。また、毎週、その朗読箇所にあったテーマのお土産というかプレゼントを持ち帰り、その週は祈りをもって生活するというお約束。

 

十年ほど前、長女がカテキズモをしていた際、子供向けのミサによく行ったが、子供がカテキズモを終了してしまうと他人事のように思えていた。

 

さて、ここ数年、夏休みのオラトリオでは掃除、配膳、ラボラトリオ、遠足の付き添いからマルチで子供達に関わるようになり、フェスタなどの打ち合わせにも声がかかるようになり、気づいたらオラトリオの責任者の一人になっていたからもう逃げられない?!爆。また、この秋からミサの聖歌を選ぶ係となり、やはりそれに見合った自分の信仰はどうなのか?と省みる。

 

そして、またお声がかかった。聖歌選曲やオラトリオ、全てにおいて私の信仰の助けになるから、レクティオに来てみるか?と。

 

レクティオとは、レクティオ•ディヴィナ(lectio=読書、divina=神の)というラテン語だが、ある聖書の言葉を繰り返し読んで味わい、それを祈り、観想する。ある神父様のすすめで、またその神父様が将来日本でもレクティオを広めたく、その一環としてわかりやすい本の日本語訳が必要、とおっしゃるので、マルティーニ大司教様の著書を読みだした。(それを日本語にするのが難儀だし別問題なのだが...) 私の場合、まずレクティオ自体慣れていない。そのためにも地元パロッキアの司祭が誘ってくれたので、良い機会だと思って飛んで行った。

 

それは、上記待降節の子供向けのミサのために、朗読箇所を子供達にどうやって伝えればいいか?聖書精読及び、子供の視点に置き換えてみてみるものだった。

 

指定の時間に出かけてみると、いたのは、司祭2人とカテキスタが3人。えっこれだけ???本来はシスター達もいるが、その日は皆お休み、ということだった。それでも、それだけ??というか私が行ってもいいの?

 

朗読箇所は、翌週の日曜日の朗読箇所。なので、待降節第1日曜日はすでに終了していた。あちゃー。

 

私の場合、聖書は、イタリア語と日本語を両手に持っていないといけないし、やはり字だけを追ったものになってしまうので、読んで頭で考えるのに、イタリア人の3倍以上時間がかかる。周りがどんどん発言していくが、第2週のルカ3:1-はしょっぱなから、時代背景、地理的なものも、何を話しているのか全く理解できず。ああ、やっぱり場違いだったな...と焦った。黙っていると、何か言いたいことは?と聞かれた。いやあ、感じるものは沢山あってもそれを、言葉に、しかもイタリア語で...というのは、辛い。しどろもどろだった。

 

1時間で終了。汗だく。第一感想。あと4回。続けられるのだろうか?涙