今になってわかること | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

長女がボローニャに行ってから、一度家族で訪ねて行こうと思っていても、なかなか週末は夫が出張に出かけたり、私の教会関係で出かけられないことが多い。では、連休を目指して。。。と思うと、逆に彼女がミラノに帰ってきてしまいなかなかタイミングが合わない。

 

とはいえ、長女が帰宅したところで、ゆっくり一緒に時間を過ごせるか?と思うととんでもない。私も帰国すればそうだから、若い彼女にしてみたら当たり前、といえば当たり前かもしれないが、毎日昼夜、昼夜といろいろな友達と、いろいろな場所で過ごしている。夜、寝には帰宅するもののほとんど真夜中。私は寝ているし、朝は朝でほとんど午前中は寝ているし、私は私で用事はある。

 

ということで、先々週から5泊6日で帰宅していたものの、家族で食事をしたのは一度だけ。ベトナム料理が食べたいというので、外食したが、そのあと彼女はまたまた友人のところへ行ってしまった。

 

ところで、彼女の親友が自死してから2年。命日が近づいてくると、長女も不安定になりやすく気になっていた。しかも未だに彼女のFBのページは、亡くなった親友とのツーショット。近所に住んでいた彼女の両親はシチリアに移住してしまったようだ。それもわからなくない。誰も亡くなったGの名前は出さない。けれど決して彼女のことは誰も忘れていない。忘れられない。実際画像を見ていると、本当は世界のどこかにまだ生きているように思えてしまうほど。

 

11月はカトリックでは「死者の月」と呼ばれているが、苦しみの中で自死された方々のために、神様の憐れみといつくしみを、そして永遠の憩いを願うばかりだ。

 

閑話休題。

 

長女が家を出てまず、変わったというのは、親に対し「ありがとう」と言えるようになったこと。喧嘩の耐えない関係だったが、彼女のその一言でポロリと来てしまうことがある。

 

以前彼女とアパートをシェアしていたミラノの同じ高校出身の友人は「週の半分はミラノに戻ってしまう癖に、毎日母親と1時間半も電話で話すんだよ、何をそんなに話すことがあるんだろう?」と言っていたが、まあそれは日本人的発想なのかもしれない。苦笑 敢えて電話をしたりメッセージを送ったりなどと、言葉にしなくても解り合えるものもある。信頼関係も大切だ。

 

ただただ自由を謳歌するのではなく、新しい環境にしっかりと順応し、親の援助はあるものの独立した人間として、自分に責任をもって歩みだした長女を誇らしく思う。私はイタリアに来るまで親元から出してもらえなかったので、それは羨ましく、また誇らしく思うもの。

 

帰宅して、相変わらず兄弟、そして親子がガミガミ言い合っているのを見ると、家族が煩わしい、と憎たらしいことを言うこともあるが、それもまた、一人の時間を過ごすことによって「家族」の意味を理解するには、この上ない貴重な時間だと思う。愛情の裏がえしの厳しさは、親元にいたらわからない。

 

家族とは、人生の柱として自分を支える存在。周りのイタリア人を見ていると、ここ数年余りにも別居、離婚に踏み切るケースが多い。夫婦の問題は夫婦にしかわからないことだが、人間形成における精神的サポートをしてくれるのは、本来家族をおいて他にない。

 

痛みも悲しみも人生にはつきものだし、人間関係にはゆるしも必要。

 

家族から離れてこそ、新しい価値観や人生の指針となる考え方が身についていくものだろう。私自身、親に思われ、そして子供を思う。日々成長なんだな...と長女の部屋を眺めてそう思った。