刑務所訪問 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

あと1ヶ月で幕を閉じる「いつくしみの特別聖年」の行いの一環として、ミラノの刑務所で毎週行われるミサの聖歌隊として参列してきた。ミサに参加するにも予約もなかなか取れず、とれたところで制約もかなり厳しい。参加者は成人25名まで。夏休み明けに予約が通ったことがわかり手続きが始まった。

 

ミサは8時半と10時半の2回。男性と女性は収容されている棟が違うので、ミサは2箇所に分かれ、時間も異なるというわけだ。もちろん受刑者の国籍と宗教は様々。ミサも個人の自由な選択である。

 

ところで、ミラノには少年刑務所の他に3つ刑務所があるようだが、一番有名なのはS.Vittoreと呼ばれるところで、サンタンブロージョや「最後の晩餐」で有名なサンタマリアデッレグラッツィア教会の近く。車やバスでいつも塀の近くを通るがどこが正門かは知らなかった。

 

サンヴィットーレは、1872年に建設が始まり、79年設置。建物は6つに棟が分かれているが、終戦前の43-45年の間、一時的にドイツ兵に占領されていた時期もあったという。

 

 

 

第1回目のミサは8時半からだったが、7時半には、正門から入るよう言われていた。まずは各自の身分証明書を預け、また全員の携帯電話は一つのロッカーにまとめて管理された。空港のような荷物検査と簡単な身体検査を受け、そこから7つの鉄格子の扉を進んで行った。到着したのは、6つの棟が交わるところで、すべての扉が鉄格子。天井は高くクーポラになっていたが、壁画も何もなくあったのは、マリア像とイエス像。あとは、兵隊の横顔がモチーフとなった記念碑のようなものが壁にあったので、上記ドイツ兵に拘留されたパルチザンを祀ってあるのだろうか?近くに寄ってみることができなかったのでその辺は不明。全体的に薄暗く、古い建物のせいかおどろおどろしい。

 

真ん中に祭壇があり、十字架が置かれていた。数人の警察と機動隊のような警察も数人立っており、続々と囚人たちが、各鉄格子から看守のチェックを受けて入場。あまり、彼らとは目を合わせないように。声をかけらてても話さないように、と言われていたが、雰囲気的に怖い人も多くとてもじゃないが、目をあげられない。かと思えば、何度も目があうたびにニヤニヤして上から下までジロジロみる男性がおり気分が悪かった。

 

ぱっと見、40名くらいの受刑者が着席。けれど、鉄格子の向こう側にも人が大勢立っていた。司式司祭の他に待者が5名。そのうち数名が神学生だった。ベールや服も違うシスターたちも数人。祭壇を丸く囲んだお御堂でのミサは初めての経験。入祭の曲は、"oggi è il giorno di festa" フェスタ、つまり主日、ミサを祝う日ということなのだが、あまりむっつりして歌わないように、笑顔、笑顔!と言われるが、とりあえず口角を意識し、歌う。

 

ミサが終わると、連絡事項として、司祭から話があったが、明後日は「諸聖人の日」の祝日があり、日曜日のようにミサがあること。そしてその翌日は「死者の日」があるので、身内や知り合いで亡くなっている人がいれば、その人のために祈るので名前を書いて出すように、ということだった。

 

また、来週の日曜日11月6日、ヴァチカンでは「いつくしみの特別聖年」として「受刑者のために祈るミサ」が行われるという。サンヴィットーレからは3人の受刑者がローマへ行き、ミサに参列。例えそのミサに参列しなくても、同様に今週は赦しの秘蹟を受けましょう、という案内だった。

 

彼らがどう感じ、どう考えているのか。彼らにも神のいつくしみが届きますように、と祈った。

 

続く